「オーガニック野菜畑」の冬野菜は、年末年始を迎える最近 大体整理が終わりました。この寒い時期は、定植が終われば野菜自体の成長もそれほどなくプログにする「ネタ」がありませんーー。それで 暫く 話題を変えてみます。
この民主主義の現代で「皇帝」と言われる「プーチン大統領」を調べました。
●少年時代
プーチンは自伝で少年時代を振り返り、家庭環境はあまり裕福で無く、少年時代はレニングラードの共同アパートで過ごしたと語っている。小学生だったプーチンにドイツ語を教えていた教師によると、プーチンは母親似であるが、頑固で勤勉な性格は父親から受け継いでいたという。また、記憶力は抜群で頭の回転も速かったが、問題児で悪ふざけを繰り返していたと証言している。(Wikipedia)
ところが、お母さんはいても父親が不在で、彼の伝記が記しているプーチン氏の出身地「レニングラード」は、実は真っ赤な嘘だった。彼の本当の出生地はウラルのオチョールと、ポーランドのある女性ジャーナリスト。彼女は又 プーチンの実父は不明で、義父二人に残酷な環境で育てられ、人生訓として、第1に徹底的に身を守ること、第2にとにかく嘘をつき続けることを学んだようで、友人は作らず、柔道とサンボに取り組んだ。(Google;plaza.rakuten. co.jpより少しアレンジ、写真はja.wikipedia.org)
●大学卒業後 KGB職員に
少年時代からスパイに憧れ、諜報活動を職業とする機関に入るために猛勉強し、レニングラード大学法学部へ。在学中からKGB(ソ連国家保安委員会)から接触?があり卒業後、1975年正式にKGB職員に。東ドイツで5年間 諜報活動、東ドイツの情報機関・秘密警察である国家保安省(シュタージ)職員の身分証明書も持っていた 。東西ドイツの統一(1990.10.3)後 帰国。
●サンクトペテルブルク副市長に
プーチンは、1990年KGBを退職?旧ソ連政権(ゴルバチョフ大統領辞任、エリツイン ロシア連邦共和国初代大統領 1992,12,8)が崩壊する前に、故郷のサンクトペテルブルクに戻り、当時市長のアナトリー・サプチャーク(元レニングラード大学の教授)と懇意になり、KGBの人脈を駆使して副市長に。その後のロシア民主化の混乱に乗じて、新興財閥やマフィアと結託、国有資産の売却などの利権をほしいままにして、彼らの黒幕的存在に。そして中央政界進出を狙う。(左写真はja.wikipedia.org、右地図はmofa.go.jp)
●中央政界に進出
その後、ロシア大統領府のパーヴェル・ボロジン総務局長による抜擢でロシア大統領府総務局次長としてモスクワに異動した。プーチンはこの職に就任して法務と旧共産党の資産移転と管理を担当した。1997年3月にはロシア大統領府副長官兼監督総局長に就任した。
1998年7月にはKGBの後身であるロシア連邦保安庁(FSB)の長官に就任。この時、ボリス・エリツィン大統領(ロシア連邦第1代大統領)のマネーロンダリング疑惑を捜査していたユーリ・スクラトフ検事総長を女性スキャンダルで失脚させ、首相だったエフゲニー・プリマコフのエリツィン追い落としクーデターを未然に防いだ。この功績によりプーチンはエリツィン大統領の信頼を得るようになる。(以上 Wikipedia 少しアレンジ)
●ロシア首相に
プーチンはエリツィン大統領によって1999年8月9日に第一副首相に任命された。この時、エリツィンはプーチンを自身の後継者とすることを表明していた。さらに1週間後には正式に首相に任命される。
そして 全く無名だったプーチン首相は、ロシア中に名をしれ渡すために何か偉業をする必要があったのです。それが第2次チェチェン戦争(プーチンが仕掛けた?)の理由で、プーチンは恐ろしいチェチェン大国からロシア国家を守る英雄というイメージを打ち出しました。
「チェチェン紛争」とは
チェチェンの独立派勢力がロシアからの独立を目指したことにより勃発した第一次チェチェン紛争は、1996年に一応の終結を見ていた。1997年5月にはハサヴユルト協定が調印され、5年間の停戦が合意されていた。
ところが1999年8月、独立最強硬派武装勢力のイスラム国際戦線を率いるシャミル・バサエフとアミール・ハッターブと1500名程のチェチェン人武装勢力が隣国ダゲスタン共和国へ侵攻し、一部の村を占領するという事件が発生する。また同時期にモスクワではアパートが爆破されるテロ事件が発生し百数十名が死亡した。これを受けてロシア政府はチェチェンへのロシア連邦軍派遣を決定。ウラジミール・プーチン首相の強い指導の下、9月23日にはロシア軍がテロリスト掃討のため再びチェチェンへの空爆を開始し、ハサヴユルト協定は完全に無効となった。(Wikipedia、地図は jca.apc.oyg、写真は mitr.ganriki.net)
●ロシア大統領に
やがてプーチン首相は、ここでも新興財閥やマフィアと結託し、ボリス・エリツィン大統領の代行を経て、2000年、若干48歳の若さで第2代ロシア連邦大統領に就任しました。
プーチン大統領は、諜報活動によって敵対国の政府転覆や要人暗殺なども厭わない、ソビエトの諜報機関KGBの出身です。
以来20年、その権力は衰えることなく、ロシアに君臨し続けています。今でも国内の支持率は80%以上というプーチン大統領こそ、現代のロシア皇帝といえましょう。プーチン大統領が怖いとされるわけは、情報部員時代に鍛えた肉体やフィジカルな殺しのテクニックではなく、ロシアという国家を、自分一人の思惑で動かすことができる、絶対的権力者であるということです。(anincline.comより少しアレンジ、写真は boketeo.jp)
次回「プーチン」が絡んだと思える様々な事件!