6)「ベクテル財閥」とは
「ベクテル 社(Bechtel Corporation ; Bechtel Group)」は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコに本拠を置き、総合建設業を営む多国籍企業。石油コンビナート、発電所、ダム、空港、港湾などの建設を請け負う世界最大級の建設会社(怪物ゼネコンだが個人企業)
「これほどあからさまに一つの会社が、大統領の権力と結びついた企業は、いまだかつて例がない。」
一般大衆の支持や注文など全く必要のない「政府がらみの巨大受注」こそ「ベクテル社」の柱であるからだ。全ての株はベクテル一族と幹部社員(約80人)が持ち合い、決して上場しない。もちろん資産も公開しない。あくまでも「個人企業」なのである。つまり、資金調達の必要ない株式非公開の「鎖国政商」といったところか。
それで 英仏海峡トンネル 、多数の発電プロジェクト、製油所、原子力発電所、 などに参加しており、世界の原子力発電所等の建設事業の60%に関わっている。
設立 | 1898年 |
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業種 | 総合建設業 |
事業内容 | 建築・土木 |
代表者 | Riley P. Bechtel (CEO) |
売上高 | 329億ドル(約3兆4500億円)(2017) |
総資産 | 314億ドル(2008年) |
従業員数 | 約5万人(2017年) |
所有者 | ベクテル家 |
注)売下げが3〜4兆円というのは、日本のエンジニアリング業界で、日揮、千代田化工建設、東洋エンジニアリングの上位3社を通称「エンジ三社」と呼ぶが、この3社の連結売上の合計が1兆円弱なので「ベクテル」の規模の大きさがわかる。
● 創業者「ウォーレン・ベクテル」(en:Warren A. Bechtel、1872 – 1933)は、オクラホマ州で牧場経営に失敗した後、1898年、急成長中であった鉄道産業の使用人として事業を開始した。それから20年の間、ウエスタンパシフィック鉄道をはじめとして鉄道や高速道路建設を請け負った。1919年以降、共同事業者とともに高速道路・水道トンネル・ダムなどを建設した。(右上写真が「ステファン・ベクテル・ジュニア」en:Stephen D. Bechtel, Jr.」右下写真が「「ライリー・ベクテル」en:Riley P. Bechtel」)
息子の「ステファン・ベクテル」en:Stephen David Bechtel, Sr.(1900- 1989)、その子「ステファン・ベクテル・ジュニア」en:Stephen D. Bechtel, Jr.(1925 – )を経て、創業者の曾孫「ライリー・ベクテル」en:Riley P. Bechtel(1953 – )が現在の最高経営責任者を務めている。
● 会社の所有と経営はベクテル一族に担われており、「ライリー・ベクテル」や「ステファン・ベクテル・ジュニア」はいずれも総資産30億ドル(約3200億円)(2009年)を有するアメリカを代表する富豪の一人である。(以上 Wikipedia)
事 業 実 績
● 1919年に、ウォーレン・ベクテル社は、カリフォルニア州の高速道路を建設、1921年水力発電のためのカリブートンネルの建設事業を獲得した。
● 1926年、ボウマン湖のカリフォルニア州ダムの建設契約を獲得した。その後は、フーバーダムの建設プロジェクトにも関与している。
● 1940年7月大統領ルーズベルトの指示で「軍艦製造施設」を東西に作ることとなり西側の建設事業を獲得した。(右写真は「フランクリン・デラノ・ルーズベルト」民主党出身の第32代アメリカ合衆国大統領。)(Google; manekineco55.at.webry.info)
●「ベクテル社」は、1950年代の「朝鮮動乱」で基礎を作り上げたが、大きく成長を遂げたのは60年代の「ベトナム戦争」であった。一般の人は、戦争で巨利を得るものは、兵器産業や輸送機関、軍需物資製造業のみと考えがちであるが、より巨利を得るのは、軍事コンサルタントや商社である。( hexagon.inri.client.jp)
● 1974~80年代「OPEC(アラブ石油輸出国機構)」の石油戦略(石油ショック)が信じられないほどの巨利を湾岸産油国にもたらし、湾岸産油国に流れ込んだ「オイル・ダラー」は世界マネーの50%に達し、様々な神話的成金を生み出した。その最も代表国はサウジアラビア、イラン、イラクであった。
「ベクテル社」が真に巨大化したのは、産油国のリーダーたるサウジアラビアに進出してからである。サウジとの関係は、創業者「ステファン・ベクテル」が、ファイサル国王の信頼を得たことからとされている。さらに「ベクテル社」はイランにも進出しており、「ホメイニ革命」寸前にイランでの利益の大半を撤収し巧みに逃げ切った経緯を持つ。(上右写真は「ファイサル国王」在位1964年11月2日 - 1975年3月25日 Wikipedia)
● 現在も、「ベクテル社」の全契約の20%近くがアラブ諸国相手であり、特にサウジアラビアでは、それまでサウジを利権支配していた「アラムコ石油」より強大な力を有するに至り、「ベクテル社」のダントツ独占状態が続いている。
しかも「ベクテル社」は、わずか10年間で10兆円を上回る利益を計上したと推定されているが、わずか10年でこれ程の利益を計上した一私企業は、世界史の中でも初めてではなかろうかと言われている。それもそのはず、サウジの「ジューベル工業都市建設」は東京都全部に相当する土地の都市開発を丸ごと請け負ったというほどの物凄さである。契約は1900年初頭より現在も継続中、何兆円にも上ったらしい、20世紀最大のプロジェクトと言ってよいだろう。(右上の写真は「Jubail Industrial City」Google;pinterest.com )
その他、サウジの世界最大の空港「リヤド空港」、同じくサウジの「ダーラン空港」、「アブハ山間都市」など、どれ一つ取っても1兆円を超す巨額なプロジェクトであった。(右写真は「リアド空港」 milt.go.jp)( Google; hexagon.inri.client.jp)
● 又「ベクテル社」が巨額工事を手掛けるようになったのは、アメリカ政界と強力なコネが出来たこともある。アイゼンハワー大統領時代(1953〜1961年)に「原子力」という新興の高度システム分野に大きく進出した時、原子力技術は国家のトップ技術であったため、国家予算を得た事業を展開したのである。(写真は「ドワイト・デビッド・アイゼンハワー」は、アメリカ合衆国の政治家、軍人。同国第34代大統領。通称はアイク。ウィキペディア)
「ベクテル社」の原子力発電所の工事実績は、アメリカ国内で1位。韓国・東南アジアでも1位で、アメリカ国内での「ベクテル社」の原子力発電設備のシェアは50%を超え、自由主義世界での原子力発電建設シェアは(韓国での80%を含め)60%であり、世界一の実績を誇っている。
●「ベクテル社」の幹部はユダヤ人嫌いで有名だが、共和党系のエスタブリッシュメントやCIA長官を自社に迎え入れ、グループ各社の副社長にするという優遇措置を取りながら、アメリカ政界とのコネを強くしていった。
● 特に、1983年「SDI計画」を発表したレーガン政権時代に、そのコネは一段と強力なものへと成長した。なにしろ、当時の国務長官シュルツは「ベクテル社」の社長であり、国防長官ワインバーガーは「ベクテル社」の副社長という顔触れだ。(「SDI」は Strategic Defense Initiative の略。 別名スターウォーズ計画。 具体的には、「ソ連のミサイルがアメリカに到達する前にそれを迎撃し、破壊する防衛網を作り、アメリカ人が安心して暮らせるようにする」ということであり、そのため宇宙に防衛網を広げるというものであった。)(以上 Google; hexagon.inri.client.jp )(上右写真「ロナルド・ウィルソン・レーガン」は、アメリカ合衆国の政治家、俳優。同国第40代大統領 、ウィキペディア
● べクテル社の組織は、人目につかないように運営されているが、経営と技術のテクニックにはライバル企業を寄せつけない力が秘められ、これを今日まで守り抜いてきたのである。
「ベクテル社」が成功してきたもうひとつの秘訣は、アメリカ国内だけでなく、日本をはじめとする外国のビジネス界と政界に入り込んで最高度の人脈をつかみ、これを用心深く育ててきたことにある。
たとえば極秘の原子力技術の提供あるいは、中東の石油パイプライン建設のように、戦略的に重大な問題に直面した場合には、各国の首相や大統領・外交官からサウジアラビアの王子に至るまで無数の要人と接触して取引きをおこない、できる限り人目につかないように作業を進めてきた。
そのため、前述にもあるが、かつてベクテル社の社長だった「ジョージ・シュルツ」が国務長官に就任し、法律顧問だった「キャスパー・ワインバーガー」が国防長官に就任して、ベクテル社の幹部がレーガン政権を支配した時でさえ、「ベクテル社」そのものは決して世間の目に触れることがなかった。(以上 Google; ameblo.jp)
日本における事業展開
日本法人は「オーバーシーズ・ベクテル・インコーポレーテッド株式会社」で、東京都千代田区丸の内3-2-3に本社が置かれている。
- 青森県の日本原燃六ヶ所再処理工場の工場設備建設に技術参加。
- 1989年度、羽田空港西側旅客ターミナルビル建設工事を日本企業との共同企業体の1社として受注した。
- 1991年度、関西国際空港旅客ターミナルビル(南工区)新築工事を日本企業との共同企業体の1社として受注した。
- 1991年度、東京湾横断道路川崎人工島東工事を日本企業との共同企業体の1社として受注した。
- 1991年度、アジア太平洋トレードセンター建設工事(その1)を日本企業との共同企業体の1社として受注した。
- 神戸医療産業都市構想への参加
- 1999年、神戸市は「先端医療産業特区の」可能性について「ベクテル社」に調査を依頼。「ベクテル社」は大学コンソーシアム、テクノロジーパークでのビジネス支援、医療産業と神戸空港の連携の3つを柱とする提案をおこなった。
- 中部国際空港旅客ターミナルビル新築工事(その1)を日本企業との共同企業体の1社として受注した。(以上 Wikipedia)