70歳からのクオリティー オブ ライフ - Quality of Life

自由人のオーガニック畑 Freeman’s Organic Farm

sponsor

sponsor

©

掲載の記事・写真など、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます。

© Copyright for Playground New York llc. All rights reserved.

お役立ち情報 その他の楽しみ

10月中旬「中東問題を考える」!(2)

投稿日:

10月16日(月)快晴(13〜23℃、湿度93%、風速1〜2m/s 、体感温度 13℃、AQI 33-良い、10/16  3:00 現在)

「パレスチナ」という名前は、古代ギリシャの作家が使っていたもので、後にローマ帝国のシリア・パラエスティナ州、ビザンチン帝国のパラエスティナ・プリマ州、イスラム帝国のジュンド・フィラスティン州にも使われた。この地域は、聖書に登場する「イスラエルの地」(ヘブライ語: ארץ־ישראל‎)、「聖地」、「約束の地」として知られる地域の大部分を占めており、カナン、シリア、アッシュ・シャム、レバントなどの広い地域名の南側に位置している。

「パレスチナ人」は、パレスチナ地方に居住するアラブ人を独立した民族として捉えた場合の呼称。語源はペリシテ人だが、直接の関係は無い。イスラエルは、パレスチナ人を指してもっぱら「アラブ人」を用いるが、民族的に「アラブ人」と同一であっても、ユダヤ教徒なら宗教的には「ユダヤ人」と呼ばれる。(Wikipedia)

エジプト、シリア、アラビアの分かれ目に位置し、ユダヤ教とキリスト教の発祥の地でもあるこの地域は、宗教、文化、商業、政治の交差点として波乱に満ちた歴史を持っている。古代エジプト人、カナン人、イスラエル人、ユダヤ人、アッシリア人、バビロニア人、アケメネス朝、古代ギリシャ人、ユダヤ人のハスモン朝王国、ローマ人、パルティア人、ビザンチン人、サーサーン朝、アラブのラシドゥン、ウマイヤ朝、アッバース朝、ファーティマ朝イスラム帝国、十字軍、アイユーブ朝、マムルーク朝、モンゴル帝国、オスマン帝国、イギリス帝国、そして現代のイスラエル人、ヨルダン人、エジプト人、パレスチナ人など、多くの民族に支配されてきた。(上図はGoogle;「2023年現在の中東地区の国々」ダイヤモンドオンライン)

この地域の境界は、歴史の中で変化してきた。今日、政治的に定義されたこの地域は、イスラエルとパレスチナの州(=パレスチナ自治区)で構成されている。

歴史・経過) 7世紀にはイスラム帝国が侵入し、シリアを支配する勢力とエジプトを支配する勢力の戦争の舞台となった。11世紀にはヨーロッパから十字軍が派遣され、エルサレム王国が建国されるが、12世紀末にはアイユーブ朝のサラーフッディーンに奪還され、パレスチナの大半はエジプトを支配する王朝が治めた。

16世紀になると、エジプトのマムルーク朝を滅ぼした「オスマン帝国」がパレスチナの支配者となる。オスマン帝国ではパレスチナはシリアと呼ばれた。

「オスマン帝国」は、かつて存在したテュルク系のオスマン家出身の君主を戴く多民族帝国である。英語圏ではオットマン帝国 と表記される。15世紀には東ローマ帝国を滅ぼしてその首都であったコンスタンティノープルを征服し、この都市を自らの首都とした。17世紀の最大版図は中東からアフリカ・欧州に著しく拡大した。(wikipedia)

アジア・アフリカ・ヨーロッパの3大陸にまたがる広大な領土と地中海の制海権を握ったオスマン帝国は、16世紀に最盛期を迎えたが、17世紀をすぎると、軍事・政治の両面で衰退の兆しが現れ、絶対王政や市民革命によって集権化を成し遂げた西欧諸国は近代的技術や軍隊を武器に優位にたち、「東方問題」と呼ぶオスマン帝国内の民族・宗教間の紛争を足がかりにして、中東への進出を果たした。東方問題」とは、オスマン帝国およびその支配地域をめぐるヨーロッパ諸国の外交問題。広義にはオスマン帝国成立以来の、キリスト教ヨーロッパ世界への圧迫に関わるヨーロッパ諸国間の外交問題。 (Wikipedia;世界の歴史マップetc)

1916年、フランスとイギリスは秘密のうちにサイクス・ピコ協定を結んだ。これにより中東は両国の影響圏により分割され、聖地を含むパレスチナは共同統治ということになった。(右図はWikipedia;サイクス・ピコ協定」とは、第一次世界大戦中の1916年5月16日にイギリス、フランス、ロシア帝国の間で結ばれたオスマン帝国領の分割を約した秘密協定。イギリスの中東専門家マーク・サイクス とフランスの外交官フランソワ・ジョルジュ=ピコによって原案が作成され、この名がついた。)

一方、イギリスは中東に獲得する予定の土地について、これと相反する可能性のある約束を交わしている。1915年 メッカの太守(シャリーフ)フサイン・イブン・アリーに対しては、マクマホン書簡において、彼らがイギリス軍に協力してオスマン帝国を背後から脅かす代わりに、アラブ人の住む中東のほとんど(ただし、シリアのうちダマスカス・ホムス・ハマー・アレッポの各地区より西の部分は除く。その延長線上にあるヨルダン川以西のパレスチナについては除くとも除かないとも言明していない)を対象とする「アラブ王国」の創設を約束した。

さらに、ウォルター・ロスチャイルド卿に対しては、1917年にバルフォア宣言で、ユダヤ人がイギリスに協力する代わりに、パレスチナに「民族郷土(ナショナル・ホーム)」を作ることを承認した。ポグロムと呼ばれるユダヤ人虐殺を行ってきたロシア帝国に対しては多くのユダヤ人が反発しており、第一次大戦開戦当初はロシアと戦うドイツ帝国にユダヤ人の支持が集まりつつあった。このため、イギリスとしてはシオニストを支援することによって、ヨーロッパや中立国アメリカのユダヤ人の支援をイギリスや連合国に集めることができるという思惑が背景にあった。バルフォア宣言はその集大成である。

19世紀以降、ヨーロッパで次々に国民国家が成立し、各地で民族の自己認識が促されると、ユダヤ人もオスマン帝国領のパレスチナに入植し始めた。第一次世界大戦でオスマン帝国は崩壊し、シオニズムに押された大英帝国と列強は国際連盟で「ユダヤ人のナショナル・ホームをパレスチナに確立する」として「イギリス委任統治領パレスチナ」の創設を決議した。イギリス委任統治領メソポタミアのようにパレスチナという古い呼称を復活させたのはマーク・サイクス(英語版)の方針であった。パレスチナの初代高等弁務官はユダヤ人のハーバート・サミュエルが選ばれた。第二次世界大戦後、ホロコーストで同情を集めたシオニズムに押されてアメリカ合衆国などの国は国際連合でパレスチナ分割決議を採択した。それに伴いイスラエルが建国され、反発したアラブ諸国とイスラエルとの間で「第一次中東戦争」が勃発するに至る。

中東問題の焦点

メッカの太守であるフサイン・イブン・アリーとイギリスの駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンとの間で1915年にやりとりされた書簡の中で、イギリスは対トルコ戦協力(アラブ反乱)を条件にアラブ人居住地の独立支持を約束した。これは、翌年1916年のアラブ地域を分割を決定した「サイクス・ピコ協定」翌々年1917年のパレスチナへのユダヤ人入植を認める「バルフォア宣言」と矛盾しているように見えたため、一連のイギリスの行動を指して「イギリスの三枚舌外交」とも言われる。

しかし線引きを厳密に適用すればパレスチナはそもそもアラブ人国家のエリア内に含まれないこと、また「サイクス・ピコ協定」で規定されたフランス支配地域も、フランス直接統治領に限っていえば(ダマスカス近辺は被るものの)概ね「フサイン=マクマホン協定」のエリア内に含まれないことから、それぞれの内容は、実はそれほど矛盾していない。しかし、このイギリスの秘密外交がシオニストらの反発を買い「パレスチナ問題」の要因となった。(以上 Wikipedia)

次回は、アラブ人入植地「ガザ地区」「ヨルダン川西地区」について


Yahoo  !  JAPAN  NEWS

イスラエル軍、地上侵攻の準備完了 空爆続くガザで子どもや女性犠牲

 

イスラエル軍の広報官は14日の発表で、陸海空からのガザ攻撃が可能な準備が整ったとし、従来の空爆を中心にした攻撃から、ガザ北部を手始めに「かなりの規模」の地上作戦に局面が移ると述べた。

ネタニヤフ首相は14日、ハマスが7日に越境攻撃を仕掛けたガザ近くのイスラエル南部を訪れ、「次の準備はできているか。次の段階は近づいている」と、この地域に展開する部隊の隊員に呼びかけた。  最大の同盟国・米国との協議も続いている。米ホワイトハウスによると、バイデン大統領とネタニヤフ氏は14日午後に電話会談。バイデン氏はイスラエルへの揺るぎない支持を改めて伝えた上で、ガザの住民が水や食料、医療を確保できるよう、周辺国や国連と調整していることについて協議した。バイデン氏は民間人を保護するためのあらゆる努力を支持すると主張したという。バイデン氏は14日、パレスチナ自治政府のアッバス議長とも会談。自治政府のガザ支援の申し出を歓迎したという。

ガザ地区では14~15日も空爆が続き、民間人の犠牲が急増。ロイター通信はガザ保健省の情報として、14日の空爆でパレスチナ人300人が死亡したと報道。ほとんどが女性と子どもという。またロイターによると、パレスチナの保健相は14日、これまでにパレスチナ人の医療従事者28人が死亡したと述べた。

同省によると、これまでのガザの死者は2329人、負傷者は9714人。イスラエル政府は、同国側の死者が1400人以上、負傷者は3500人以上としている。

一方、イスラエル軍は15日朝、前日に引き続き、ガザ北部の市民に対して退避ルートを指定。現地時間午前10時~午後1時(日本時間同4~7時)に限定し、早急にこのルートを使って南部への退避を求めた。軍の広報官は15日朝の会見で、退避の時間は限られているとの見解を示した。国連によると、退避対象の約110万人のうち、南部に避難したのは数万人とみられる。7日に始まった報復攻撃で、ガザでは40万人以上が自宅からの退避を余儀なくされている。(10/16 2:00 朝日デジタル、news.yahoo.co.jp)

人気ブログランキング

ランキングに参加中。
*1日1回↓クリックして、応援よろしくお願いします!


人気ブログランキング

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自由人へ
にほんブログ村

楽天 スポンサー



-, お役立ち情報, その他の楽しみ
-, , , ,

Copyright© 自由人のオーガニック畑 Freeman’s Organic Farm , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.