反戦ジャーナリスト「桐生悠々」は、何と私が現在存在するに一番お世話になった大恩師「桐生知男」横国大元工学部教授(1987,2/8 死去)のお父さんです。9月8日の中日新聞朝刊の大々的な社説は、戦争を公言する愚かな国会議員が居る現代社会の今、我々に必要な約100年前に活躍した気骨のジャーナリスト魂を思い出させているのでしょうーー!
この親父さんの三男坊?だった桐生先生も異色の型破りな先生でした。私はその先生のお陰で社会に出させてもらったのです。その内にこの桐生先生と私の関係について私のブログで掲載する予定ですが、今回はその「はしり」にします。
1968年5月頃 在籍3年目だったが殆ど大学に行かなかった私に、級友から「桐生先生がお前を呼んでたぞ!」と言われ、数日後 先生の部屋を訪問したのです。
先生は私に「愛知県からわざわざ横浜の大学に来て何をやってるんだ!全く授業に出てないようだな!」「バイトに忙しくてーーー奨学金が止められ、家から仕送りが無い」「お前の成績を見ると当分卒業できんーー入学試験はまあまあの成績で入ってるじゃ無いか!特に英語がいいね!」「俺の名前の知男は愛知の知で、名古屋出身だからな、ホカっておけん!」「お前は、大岡川沿いのH食堂 知ってるよな、明日から其処で俺のツケで飯を食え!それで授業に出て来い!」これが先生との初対面の会話でした。
当時の私(1968年23才頃)、将来の展望が全く考えられなかったのです。工学部に籍を置いたものの、本来は文筆家志望だったーーー。その為には学生という肩書きで、様々な経験や各層?との付き合いを優先していたーーー!体育系ヨット部に在籍、麻雀(仲間同志から一人打ち?)・パチンコに凝り、金が有っても無くても飲酒交友ーーーー!
(後述に続くーーーー!)