70歳からのクオリティー オブ ライフ - Quality of Life

自由人のオーガニック畑 Freeman’s Organic Farm

sponsor

sponsor

アーカイブ

©

掲載の記事・写真など、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます。

© Copyright for Playground New York llc. All rights reserved.

お役立ち情報 その他の楽しみ

「中国」とは!(4)「漢民族」とは!

更新日:

「中国」に関して、明治維新後の外交会議の席で「伊藤博文」「大久保利通」「かの国は、国家ではなく中国人の社会の様だからーーーしばらく様子をみましょう!」と、ある本で読んだ記憶があり、140年経った今も大差ないかもーーーー!

「中国」を論じるに中国人の94%を占める「漢民族」「中華街」の存在を知る必要があるでが、兎に角 ややこしい民族でまとまることはないようだーーーー。

「漢民族」は、中華人民共和国、中華民国、シンガポールで大多数を占める民族。人類の20%を占める世界最大の民族集団である。 中華人民共和国の民族識別工作では「漢族」と呼ばれ、中華人民共和国の人口の94%以上を占める。「漢人」ともいい、「華僑」として中国を離れ、移住先に定着した人は華人、唐人と自称することが多い。

下写真は「漢民族の衣装」混血による美人が多い?( Wikipedia:pinterest )

「漢民族」はその昔、漢民族とは称されておらず、「華夏族」と称されていた。漢民族という名称は「漢王朝(BC 206~AD 220)」の時代から今日まで使われてきてはいるが、今でも本土の中国人は中国のことを「華夏」、中華文明を「華夏文明」と呼ぶことがある。

起元前221年、「秦の始皇帝」が中国を統一し、ばらばらとなっていた「華夏族」が統一となり、その後の「漢」の時代に文明が高度に発達した。「漢」の時代は「前漢及び後漢」合わせて408年間にも及び、版図が空前に拡大し、文化も高度に発達した。この時期の華夏族は周辺民族から「漢人」と呼ばれ始めた。これは漢族の由来である。「漢民族」は漢の時代に形成し、その後幾度の民族融合及び異民族の漢化を経て現在の「漢民族」を形成した。

4〜5世紀に「五胡十六国」の侵入により,「漢民族」は江南に大挙移住し,「唐末期」より「五代」にかけては福建が,「元」代には雲南・貴州が漢民族化され,「明」「清」以後は満州・台湾・内モンゴル,さらに海外にまで広まった。

「五胡十六国」とは、中国,華北を中心とし,漢 (のちの前趙 ) と 氐族の (前蜀,のちの漢) が独立した 304年から 439年北魏の統一により南北朝に入るまでの時代。また,その期間に興亡した諸国の総称。五胡とは,匈奴 (けつ) ,鮮卑 (てい) , (きょう) 。十六国は,五胡と漢人の建てた 19国のうちのおもな 16国をいう。この時代の文化はさしてみるべきものはなかったが,五胡の君主のなかにはみずから仏教を信奉したり,大衆教化を仏教に求めた者もあって,仏教は飛躍的発展をとげた。(Wikipedia )

「漢民族の現在の分布」

中華人民共和国(中国大陸)1,349,585,838人 中華民国 (台湾地区)23,299,716人 日本519,561人 韓国137,790人 シンガポール3,684,936人 ベトナム1,263,570人 ロシア:998,000人他

「漢民族」以外の「55の少数民族」とは

中国政府は、民族区域自治という少数民族政策を取っている。国民を、漢民族と55の「少数民族」とに区分し、その民族ごとに集住地域を「区域自治」の領域として指定した。そこでは、「民族の文字・言語を使用する権利」、「一定の財産の管理権」「一定規模の警察・民兵部隊の組織権」「区域内で通用する単行法令の制定権」などを行う事を認めている。国民を構成する諸集団が、どの「民族」に帰属するかを法的に確定させる行政手続きを、民族識別工作といい、清代から民国期にかけて伝統的に「五族」とされてきた民族数は、この手続きにより56にまで増加した。 現時点でもまだ、識別されていない民族、あるいは便宜的に他の民族籍に分類されている民族も多数存在する。

下左写真は「イー族」で、右写真は「ミャオ族」(Google;少数民族の衣装より)

 

「中華街(英語: Chinatown、中国語: 中国城、唐人街)」とは、非中国人地域における華僑・華人ののこと。

「中華街の歴史」は、漁業や交易のために福建省などの中国南部沿岸地域の中国人たちは、南シナ海を越えて、対岸に居住してきた。次第に定住していき、台湾海峡を渡った澎湖島の馬公や台湾の鹿港、ヴェトナムのホイアン、マレイ半島のマラッカ、ジャワ島のバンテンやトゥバン、フィリピンのマニラなどに、現地港市権力の許可を得て居住地を拓いた。16世紀になり、西欧の貿易植民地権力がこれらの港市に到着し、そこに存在していた中国人たちの居住地を「チャイナタウン」と呼んだ 。移民中国人たちはオランダとイギリスの植民地権力を経済的に支え、その植民地都市には「チャイナタウン」は必須の存在であった。東南アジアでは都市自体が大きく成長、変容しても、この「チャイナタウン(華人街)」の多くは歴史地区として現存している。(Wikipedia )

下の写真は「横浜元町の中華街」です。

大きなものは北アメリカや東南アジアに多く見られるが、ヨーロッパやオーストラリアでも拡大中の「中華街(Chinatown )」があります。世界のどこの国・都市でも形成され、この10年でロシア(サンクトペテルブルグ)・中東(ドバイ)・アフリカ(マダガスカル・モーリシャス・南アフリカ・モロッコ)にも増えました。又 その近くには、どういう訳か「韓国街(Korean town)」が張り合って?存在するようです。

やはり 中国は中国人の統一?中国国家の確立?は難しいですねーーーー!

次回は、中国の「政治形態」「中国式社会主義」、更に中国を複雑にする「中国の黒社会?バン組織?」ーー。

 

人気ブログランキング

ランキングに参加中。
*1日1回↓クリックして、応援よろしくお願いします!


人気ブログランキング

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自由人へ
にほんブログ村

楽天 スポンサー



-, お役立ち情報, その他の楽しみ
-, ,

Copyright© 自由人のオーガニック畑 Freeman’s Organic Farm , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.