前回より、「ユダヤ商人」秘伝の格言「タルムード」をわかりやすく紹介していきます。
○ 人の賢さ・愚かさのタルムード 2
「自信を失うということは、自分に対して盗みを働くようなモノである」
自分の物を盗まれる瞬間を知る人は居ないが、結果何が無くなったかは解る。自信を失い、落ち込んでいる時間が長ければ長い程時間と勇気を失う。立ち直りの遅い人間、落ち込んでいる哀れな自分に酔っている者は、自分の人生を大切に思っていない証拠である。
自分の人生は自分だけのものではない。家族や友人、職場でのポジションを考えれば、そうそう落ち込んでは居られない。直ぐ立ち直る人、立ち直るのに時間やイベントが必要な人、どちらが成長するか、考えなくとも解る。(右上の写真は「タルムード原本」Google; enbridge.jp)
「自分より賢いものに負ける方が、自分より愚かなものに勝つよりも得だ」
勝ち負けにこだわる者か、その行動から得られる自分の成長にこだわる者か?勝負と言うものは自分とは違う考えの相手と創意工夫を競い合えるものである。自分以外の優秀な考え方に触れ、それがしっかりと理解できれば、勝敗など意味の無いものだ。
勝っても何も変わらない。はじめから勝つ事が解っている勝負はするだけ無駄だ。負けて学ぶ。自分の弱さ、考えの未熟さ、あらゆる敗因が学べれば、小さな勝敗よりも大きな価値を持つ。
「粉屋が煙突掃除屋と喧嘩をすると、粉屋は黒くなり、煙突掃除屋は白くなる」
簡単に言うと、自分の得にならない喧嘩はするな。と言う格言である。粉屋が煤だらけの煙突掃除屋と喧嘩をすると、たちまち黒くなってしまう。喧嘩に勝とうが負けようが、商売に戻る為にはシャワーを浴び、服を全て着替えなければならない。
一方煙突掃除屋は白くなろうが、赤くなろうが、そのまま仕事に戻れる。例え引き分けたとしても、粉屋に分の悪い結果となる。感情で喧嘩をしてはならない。大人の喧嘩は、今のポジションを有利な位置に移動する為の手段である。無駄の無い日々を過ごせという教訓である。
○ 人の善悪・理性のタルムード
「正しい者は自分の欲望をコントロールするが、
正しくない者は欲望にコントロールされる」
善悪・倫理は理解しているつもりでも、欲望は強く人間は弱い者だ。結果的に気づかないまま欲望に駆られ、善悪をしっかりと見定めずに行動した結果、将来に影響する悪い評価を受ける場合もある。モノの善悪は、その時代時代で尺度が違う。善悪を定義するのは自分ではなく社会の体勢の目線である。正しい者は時代の定義を敏感に得て、欲望の強弱をコントロールし、結果的に悪い評価を生まない慎重な行動を取る。
欲望を無くせと言うのではない。上手くコントロールすべきものと訴えている。(上の写真は「ユダヤ人正統派」jjsk.jp)
「もしあなたが、悪への衝動に駆られたら、
それを追い払うために、なにかを学び始めよ」
悪への衝動、悪行の対価への欲望。そう言うものに負けそうな自分は、間違いなく「未熟」である。イチゴを目の前に置かれ、おやつの時間までは食べてはいけませんと言われても食べたい衝動に駆られて食べてしまう子供と同じだ。
そういう時は、何でも良いから、何かを学んで自らを成長させる事だ。人生観や理論を学ばなくとも、数学でも経済学でも良い。自らの脳みそに新しい知識、新しい刺激を与えることだ。その情報や知識、そしてその行為は、未熟な自分を必ずや成長させる。成長した自分が同じ衝動に駆られるなら、勉強が足りないだけだ。未熟な判断は、賢くなる事で防げるのである。
「他人の善意で生きるよりは、貧しいままでいる方がいい」
善意は謹んで受け入れるべきだが、それを生活の糧にしてはいけない。それならば満たされずに日々暮らし、自らの思いを遂げる努力をすべきである。 自らの満足を他人の行為に求める者は、人生を捨てると同じ事である。人間としての誇りを内に秘める事の大切さを訴えている。
「他人の前で恥じる人と、自分の前で恥じる人では大きな開きがある」
他人の前で恥じるのは、自分が恥をかいて嫌だと言う稚拙な感情から来る。しかし、自分だけの世界で自らを恥じる時は、自分自身に大きな責任を感じて自らの行為を改革する決意や責任感がある。そもそも他人の前で恥をかくのは損では無く自己成長に繋がる。訊くは一時の恥、知らぬは一生の恥と故事にも言われている。
○ 価値観のタルムード
「甕(かめ)を見るな。中に入っているものを見よ」
甕とは、陶器で出来た大きな壷のような入れ物。多くの人が美術的な造形物を見た時に、その外観を評価するが、甕の本来の用途は入れ物であり、大切なものはその中に入っている。
同じく人もルックス・家柄・学歴等で評価されがちだが、そのどれも人としての「働き」と言う意味では正しい評価ではない。「どう育ったか」と言うよりも「どう考え」て「どう動く」のかが人としての直接的な評価である。
人の評価は美術品の美しさの様に単純ではない。世の為・人の為に考え動けるか、そういったものさしが人の価値を決める。(右写真は「タルムード入門」Google; shop-kyobunkwan.com)
「楽観が最も強い鎧となる」
楽観的という言葉には何か軽薄さ、不真面目さが伴う。そもそも対語の「悲観的」には真面目さが在るかと言えばそうでもない。
人間には得手と不得手=苦手がある。苦手意識があると行動が否定的になる。
しかし、以前は苦手だったことが数年経つとそれほど苦でもなくなる事が多い。
ここで言う楽観は「結果が出る前から悲観的に考えるな」と言うことだ。
どんな苦境に立っても必ず進める道があると言う意思が見えない道を切り開く。楽観は前向きに考える鎧だ。
「権威を認めるな」
権威とは行動の結果である。行動は時代の変化で結果が変わる。10年前は人の為に成った行動が、今も同じ結果を招くとは限らない。
権威を尊重しすぎると行動が狭くなり、結果的に必要な改革が成し得ない。
権威に頼らず、尊重し過ぎず、不要な場合は破棄してでもより良い結果に結び付けなければ成らない。
(以上 Google; aoiro-odawara.com)
次回に続きます。