前回よりの続きです。
○ 価値観のタルムード 2
「反省する者が立つ土地は、
もっとも偉い人が立つ土地よりも尊い」
偉い人にはそれを囲む人が集まる。皆、偉い人の恩恵(おんけい)を受けようとする。しかし囲む人々は
恩恵に恵まれるだけで、人それぞれの力が強まるわけではない。
何かに失敗し反省する人は好奇の目で見られても見習う対象とは思われない。(右写真は「タルムード原本」Google; diamond.jp)
反省とは何か?誰かに向けて反省しますという行動は反省ではなく屈服(くっぷく)である。自らを
省(かえり)みて、人知れず立ち直ろうとする者の行動を反省というのだ。
それには、自己に対する強い批判と評価、そして成長を伴う。
反省し成長する者は、人々に対して、屈しない・諦めないと言う勇気を与える。また、そのような遠回りを
した者こそ偉人と同じ高みにあがる。
既に高みに立つ偉人を観察するよりも、目的地を目指し、我武者羅(がむしゃら)に挑戦している姿の方が参考になる。
偉人への成長課程が反省する者の姿に映るのである。
「子供は父親を畏敬しなければならない」
この場合の父とは、外で働く者を言う。
外で働く者を尊敬する風潮が家庭内に存在しなければ、外で働く者は頑張る意味が薄れるであろう。
特に男はおだてれば調子に乗りやすい生き物である。
母親が子供の躾(しつけ)として父親を尊敬させる雰囲気があれば父は一層頑張り、家庭は豊かになる。
「お父さんみたいになっちゃ駄目」とか父親にお小遣いをあげない=投資をしないとか言う家庭は、自ら稼ぎを少なくしている。
父が偉いと言う議論ではなく、畏敬することで家庭が安泰(あんたい)になると言う意味。
「一本の蝋燭(ろうそく)で多くの蝋燭の火をつけても、初めの蝋燭の光は弱まらない」
一杯の水を幾杯ものコップに分けると一杯の水量は少なくなるが、蝋燭の火は何本に分けても小さくなることはない。
一人の熱い想いを大勢に訴えても、その想いは伝播して、元の想いも、伝播した末端の想いも冷めることはない。
その人の考え方が正しければ、たとえ最初は少数派であっても、人の理解を得て共鳴(きょうめい)を呼べば、大きな想いとなって山をも動かす原動力となる。
大切なことは、その想いや夢が、火に偽りが無いのと同じく、偽りなく人々を照らす大儀であるかと言う一事である。
○ 学習・成長のタルムード
「貧しい人の息子は讃えられよう。人類に英知をもたらすのは彼らだ」
多くの偉人達に共通するのは「不満分子」であった事。それが貧困であったり、逆に豊かなの
だが、家柄に縛られていたりと、その処遇に満足がいかない向上要求をパワーにして新たな分野を切り開いている。
安穏な未来、引かれたレールに従う子供達にはそう言うパワーは宿らない。
偉業を成し得ると言う事は並大抵の努力ではない。そのパワーは、幼い頃から積み重なった反骨精神や成り上がり願望から来る。
何度苦労しても這い上がるしかない環境で、そう言う「折れない心」が育まれるのだ。(右写真は「タルムード金言集」Google; toppoint.jp)
百獣の王ライオンが我が子を千尋の谷に突き落とす。
その谷を這い上がる子孫こそ未来永劫の繁栄をもたらすからに他ならない。
「学ぼうとする者は、恥ずかしがってはいけない」
たとえば学びの場で恥をかく。心弱い者は同じ学びの場へは行けない。嘲笑を浴びせた人々の前にのこのこ出られないからだ。
恥をかかない事が大事なのか、知らない事を知る事が大事なのか、後者である事は言うまでもない。
大人になると兎角恥が邪魔になって素直に学べない。大人になっても学ぶべき事は山ほどあるのに、
恥を回避する為に多くの成長を逃してしまう。
自分の為に恥をかくのではない。家族のため、地域のため、世のために恥をかくと思えば、それ程嫌な事
じゃない。
「自分を知ることが最大の知恵である」
人は理想の人物像を真似ようとする。しかし自分と理想の人物の間に存在する人としての「素材のギャップ」はあまり認識されない。
ハウトゥーを知ろうとするが、その手段を行うに足るポテンシャルが自分に備わってるかを問わない。
他人の行為は隅々まで見えても自ら歩いた道の隅々まで知る者はいない。「人は鏡の中に最も好きな自分を見る」と言うように、普段は自分の嫌いな表情を無意識にしている事に気がつかない。
私は私の事を本当はよく知らない。そう言う意識を常に抱きながら、自らのポテンシャルを知ろうとする習慣が必要である。
自らのポテンシャルを把握し、且つ、周りの環境を把握すれば、全て計画通り推移するはずである。
(以上 Google; aoiro-odawara.com)
次回に続きます。