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ユダヤ系民族の七大財閥とは(4)

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4)「クーン・ローブ財閥」

何と「クーン・ロープ財閥」は「シフ財閥」でした。

「クーン・ローブ商会(Kuhn Loeb & Co.)」はグローバルな金融財閥。1867年に創業したクーンAbraham KuhnとローブSolomon Loebという義兄弟が営んでいた雑貨店にさかのぼるが「クーン・ローブ商会」投資銀行としての名を高からしめたのは,1875年以降パートナーに加わったローブの女婿「ジェイコブ・H・シフ(Jacob ・Henry・Schiff)の働きによる。

●「クーン・ローブ商会」の頭取になった「ジェイコブ・H・シフ」、ニューヨークに本部を置き、「ジョン・ロックフェラー」へのメインバンク、財政アドバイザーとしても有名。

「JaCob・H・シフ」は、少年時フランクフルトのゲットーで、初代マイアー・アムシェル・ロスチャイルド時代に「グリューネシルト(緑の盾)」(Haus zum Grünen Schild)と呼ばれる建物にロスチャイルド家一族とともに住んでいた。(写真は「ロートシルト家の引っ越し先。ゲットーの建物では一番間口の広い「グリューネス・シルト」の家。)

● 1865年(18才)渡米するが、ニューヨークに着いた時はほとんど無一文だった。はじめ銀行の出納係に就く。28歳の時「クーン・ローブ商会(金融財閥)」に就職、その後 閨閥もあり凄腕の頭取へ。「ロスチャイルド家」の代理人であるのも有名で、このブログ「日本人とユダヤ人の繋がり」(1)に掲載しました。(以上 Wikipedia)

「クーン・ローブ商会」「比類なし」と称されるほど急成長したのは、「シフ」その人脈にあったと言えるだろう。クーンが引退し1885年にローブが亡くなると、「シフ」「クーン・ローブ商会」を受け継いだ。この時代の多くのユダヤ系の銀行が自分の名を社名にしていたのに、シフがそうしなかった理由はわからない。わからないが、「シフ」は「クーン・ローブ商会」の“代名詞”である。

のちに「 FRB」創設の主役「ポール・ウォーバーグ」が合流することになる。 (以上 Google; plaza rakutenn.co.jp )(「FRB」The Federal Reserve Boardは、日本における日銀と同じ、アメリカの中央銀行制度の最高意思決定機関で、日本語で「連邦準備理事会」とも呼ばれます。連邦準備理事会は、7名の理事から構成されています。)(右写真は「ポール・ウォーバーグ」、ロスチャイルド家の代理人、ジェイコブ・シフの義兄弟)

アメリカの投資銀行(インベストメント・バンク)は成立ちにより大きく3グループに分けられるが「クーン・ローブ商会」は、大きな金融支配力を示したアメリカの金融財閥ドイツ系ユダヤ人移民を始祖とするものの代表格である。

● 日露戦争に際しては、日銀副総裁であった高橋是清が外債募集のため1904年アメリカに渡った時に、シフ「クーン・ローブ商会」は2億ドルの融資を通じて日本を強力に資金援助したことで、日本勝利と帝政ロシア崩壊のきっかけを作った。以後日本は3回にわたって7,200万ポンドの公債を募集、シフはドイツのユダヤ系銀行やリーマン・ブラザーズなどに呼びかけ、これも実現する。結果として日本は勝利を収め、シフは一部の人間から「ユダヤの世界支配論」を地で行く存在と見なされるようになった。またこれ以後、高橋との親交を結んだ。(写真は「JC・シフと高橋是清」e-satoken.blogspot.com)

のちにシフが高橋に語ったところによれば、融資の理由はロシアでの反ユダヤ主義(ポグロム)に対する報復だったと言われている。1881年、また1903年4月にはロシアで大規模なポグロムが起こっていた。「ロシア帝国に対してたちあがった日本は神の杖である」とのち回想録に記している(以上 Wikipedia)

「定説」では、ロンドンで高橋是清とシフが出会ったことやシフが公債を引き受けてくれたのは“偶然”とされているようだが、これは違う。「シフ」は日本の公債を引き受けるために高橋のまえに現われたのである。「シフ」は日露開戦前の1904年2月上旬にシフ邸で開かれたユダヤ人指導者の会合で「72時間以内に日露間で戦争が勃発する。日本の公債引受の問題が提起されているが・・・」と語っている。シフは日露開戦を事前に知っており、日本の公債引受の打診さえ受けていたのだから。(右写真は「日本を訪れた時の JC・H・シフ夫妻」 note.com)

「わが政府は、シフがしたことをけっして許しも忘れもしない。彼ひとりがアメリカ市場における日本の資金獲得を可能にした。海外でわれわれに敵対するもっとも危険な人物である」と、1911年にロシアの大蔵大臣ココフツォフは語った。

日露戦争の戦費は、17億2121万円と日清戦争の9倍に達した。

(以上 Google; plaza rakutenn.co.jp )

●「シフ」帝政ロシア打倒工作は徹底しており、第一次世界大戦の前後を通じて世界のほとんどの国々に融資を拡大したにも拘らず、帝政ロシアへの資金提供は妨害した。1917年にレーニン、トロツキーに対してそれぞれ2,000万ドルの資金を提供して「ロシア革命」を支援した。また、経営者一族がシフの縁戚となっていた「ファースト・ナショナル銀行ニューヨーク」は、ロックフェラーの「チェース・マンハッタン」「J・P・モルガン・アンド・カンパニー」と協調して、19世紀帝政ロシア生まれのユダヤ人活動家約500人に対する融資を継続していた。

1947年発行のオランダ国債や欧州石炭鉄鋼共同体債、オスロ市債、オーストリア国債、デンマーク国債、ジャマイカ債の引受代表となった。引受けた国債銘柄は「モルガン・スタンレー」よりもずっと幅広い。

●「クーン・ローブ商会」は国債を取り扱いながら鉄道事業に参入していく。鉄道事業では「ハリマン家」と組み、ここに日露戦争後の満州における鉄道利権も動き出す。

1939年にはシフの孫ドロシーが36歳でニューヨーク・ポストを買収し社主となった。ドロシーはルパート・マードックに同紙を売却するまで37年にわたって社主として君臨していた。

ロックフェラーの財政顧問は、ユースタス・マリンズによると、「クーン・ローブ商会」のルイス・シュトラウスが務めており、ロックフェラーの投資は「クーン・ローブ商会」の承認を受けていたようである。シュトラウスの後任がJ・リチャードソン・ディルワースで、彼も「クーン・ローブ商会」の共同経営者であり、ディルワースはロックフェラー一族全体の財政担当となり、ロックフェラーセンタービルの56階で1981年までロックフェラー家の口座のすべてを監督していたという。(右写真は「ロックフェラーセンタービル」photolibrary.jp)

●「シフ」没50年後1977年に「クーン・ローブ商会」は、リーマン・ブラザーズに統合され、「クーン・ローブ・リーマン」と称した。その後、1984年に「クーン・ローブ・リーマン」がアメリカン・エキスプレスに買収され「シェアソン・リーマン・アメリカン・エキスプレス(Shearson Lehman/American Express)」に改名された際、クーン・ローブの名は消えることとなったが、ローブはリーマンの語源である

1988年「シアーソン・リーマン・アメリカン・エキスプレス」はさらにE・F・ハットン&カンパニーを吸収「シアーソン・リーマン・ハットンShearson Lehman Hutton Inc.)」となった。

● 現在 Shearson Lehman Hutton Holdings Inc. 

World Financial CenterAmerican Express TowerNew York, New York 10285U.S.A.(212) 298.

(以上 Wikipedia、Google;  kotobabank.jp 一部校正)


「ジェイコブ・ヘンリー・シフ(Jacob ・Henry・Schiff)」ほど個人で、世界を変えた人間はいたでしょうか?

それは「金」であり、生きた金の使い方なんでしょう〜ー!

次回は「モルガン財閥」です。期待してください。

 

 

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