1月4日(水) やや曇り(0〜7℃、湿度 87%、風速 2m/s 、体感温度 -1℃、AQI 26-良い) 正月三が日が終わりましたーーー!
令和5年(2023年)になって4日目になりました。
以前から思っていたのですが、この所 過去を振り返る事が増えたせいか、この年代の表現「令和」に関してですが、無駄?ではないでしょうか?
私は現在 77才 昭和20年(1945年)の戦後生まれで、平成・令和と三代に渡って生きてきました。
外国人が国内に定住する様になったし、又 多くの日本人が海外に出かける現在です。
「令和」をWikipedia で調べると、
「令和」は、平成の後。大化以降232番目、248個目の元号。徳仁(第126代天皇)が即位した2019年(令和元年)5月1日から現在に至る。また、「元号法(昭和54年法律第43号)」に基づく元号としては、平成に次いで2番目の元号である。(右写真は、Google ; 「日本国第126代天皇・徳仁」(2019年〈令和元年〉10月22日、即位礼正殿の儀にて)
2019年(令和元年)5月1日午前0時、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成29年法律第63号)」の規定に基づいて、第125代天皇明仁が退位し「上皇」になり、明仁の第一皇男子である徳仁親王が第126代天皇に即位した。この皇位の継承を受けて、「元号法」並びに「元号を改める政令 (平成三十一年政令第百四十三号)」の規定に基づき、「平成」から「令和」に改元された。
名称は、日本に現存している和歌集の中で最古の「万葉集」から引用された。(右写真は、Google ; 「1019年(平成31年)4月1日、新元号「令和」を発表する当時の内閣官房長官・菅義偉(第4次安倍第1次改造内閣)」
元号法(げんごうほう、昭和54年法律第43号)とは、日本の元号の制定について定めた日本の法律。所管官庁は、内閣府である。
元号法以前の元号は天皇が定めるものだったが、元号法以後は内閣が政令により定めるものとなった(平安時代以後公卿が改元を主導し、江戸時代には幕府が事前に選定したが、いずれの場合も最終的には天皇が定めるものだった)。「昭和」の元号はこの法律の本則第1項の規定に基づき定められたものとされた(附則第2項)。「平成」の元号は元号を改める政令 (昭和六十四年政令第一号)により、「令和」の元号は元号を改める政令 (平成三十一年政令第百四十三号)により定められた。
元号の使用を法的に強制するものではない。
背景
大日本帝国憲法下においては、元号に関する規定は旧皇室典範第12条や登極令に明記されていたが、日本国憲法下においては、1947年(昭和22年)に現皇室典範が制定されるに伴って条文が消失し、法的根拠がなくなった。しかし、その後も国会・政府・裁判所の公的文書、民間の新聞等で慣例的に元号による年号表記が用いられた。行政の様式中の年月日の欄に「昭和」が含まれるなど、行政が元号使用を勧奨するような実態があった。
日本政府は1946年(昭和21年)11月8日に元号法の閣議決定をしたが、11月19日に撤回した。これは後の元号法とほぼ同じものだったが、当時の連合国軍総司令部(GHQ)の反対にあって頓挫したと言われる。その後、法律ではなく内閣告示を通じて制度化するという議論などがあった。(右上部の写真は、Google ; 「日本国章・日本の法令」)
1950年(昭和25年)2月28日の参議院文部委員会での公聴会では8割が制度廃止を支持した。
日本学術会議は1950年5月に政府に対し「元号廃止 西暦採用について」の申し入れを行った。
1968年(昭和43年)、「明治100年」を機に、政府内で「国旗、国歌」と共に「元号法」を定める機運が高まり内閣法制局が「一世一元とすること」を骨子に検討を始めたが、「現代に至っても元号を使用し続けているのは日本だけである」として「西暦に統一すべし」との論も強かった。
改元に至る経緯
当時の天皇であった明仁が譲位の意を示したのは2010年(平成22年)7月22日とされており、2016年(平成28年)8月8日に宮内庁は、その前日に撮影した、当時82歳になる天皇からのビデオメッセージを公表。それによると、自らの高齢化により今までのように公務が果たせなくなることを懸念し、「公務が途切れることなく安定的に続くことを望む」との趣旨で正式に発言し、その前に皇太子徳仁親王(当時)に皇位を譲りたい趣旨の叡慮を示した。
Yahoo ! JAPAN NEWS
Uターンラッシュがピーク 新幹線で「乗車率100%超」も
JR東京駅の東海道新幹線のホームでは、帰省先や行楽地から戻る家族連れなどの姿が多く見られました。JR東海によりますと、午後4時半現在、東海道新幹線の上りで指定席がほぼ満席となっているほか、のぞみ号の自由席で乗車率が100%を超えるなど、混雑が見られました。
また、羽田空港でも、年末年始を海外で過ごした人たちを乗せた飛行機が到着しました。 利用客「毎年イタリアにいっていたけど、コロナで(いけず)3年ぶりにいってきました」「楽しかった」 羽田空港はスーツケースを持った人たちなどで混雑していて、国際線の混雑のピークは3日と4日だということです。
一方、都心に向かう高速道路の上り線も混雑し渋滞となっています。日本道路交通情報センターによりますと、午後5時の時点で関越自動車道・上りの高坂サービスエリアを先頭に17キロの渋滞となっているということです。 高速道路のUターンラッシュは3日がピークで、夜遅くまで渋滞が続く見通しです。(1/4 01:07 日テレNEWS, news.yahoo .co.jp)