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1月初中旬「ふと思う事ーー大相撲!(2)」

投稿日:

1月12日(木)快晴(-2〜13℃、湿度 75%、風速 2m/s 、体感温度 -4℃、AQI 34-良い、1/12 4:11 現在)

昨日に続いて「大相撲」(2)を掲載します!

明治・大正時代の大相撲

明治維新と文明開化に伴い、1871年東京府のいわゆる「裸体禁止令」により東京相撲の力士は罰金、鞭打ち刑に処された。また、「相撲禁止論」が浮上した事もある。このような事態に対し、自らも相撲をとることの多かった明治天皇 および その意を受けた伊藤博文らの尽力により、1884年に天覧相撲が実現され、大相撲が社会的に公認されることにより危機を乗り越えることができた。この天覧相撲の力士は58連勝(史上3位)を記録した15代横綱初代・梅ヶ谷藤太郎であった。(右上写真は「明治中頃の大相撲」)

東京大角力協会(1889年に東京相撲会所から改称)と大阪相撲協会ができ、組織としての形態が確立した。1890年に入幕から39連勝で大関に駆け上がった初代・小錦八十吉と横綱免許を受けた大関初代・西ノ海嘉治郎のねじれ現象の解決のため、番付に初めて〈横綱〉の表記が登場する。これはなかば偶然の産物ではあったが、これをきっかけに横綱・大関が実質的な地位として確立していくようになる。

「大阪相撲」とは、大相撲三月場所は大阪に春を告げる風物詩としてよく知られています。現在のような3月の本場所が開始されたのは昭和28年(1953)ですが、大阪と相撲には長い歴史があることをご存じでしょうか。江戸時代から昭和2年(1927)に東京相撲と合併するまでは大阪相撲という集団があり、関西を中心に大変な人気でした。そして歴代横綱に数えられていない独自の「横綱」も活躍しています。

この頃から映像が映され出し、小錦や大砲が映された貴重な映像(1900年撮影)が現存している。

20世紀の変わり目の頃には、横綱常陸山谷右エ門(1896年に名古屋相撲から大阪相撲へ、後広島相撲から東京相撲へ)と二代目・梅ヶ谷藤太郎「梅常陸時代」による東京相撲の隆盛が生じ、東京が相撲の中心という意識が広がっていく。

1907年、常陸山が渡米した。この渡米は日本国外に相撲を本格的に紹介する最初の出来事であった。(右写真は「訪米中の常陸山」)

1909年6月2日、初の常設相撲場となる両国国技館の落成。土俵入りは、東の横綱、常陸山と西の横綱、梅ヶ谷により行われた。これに並行して投げ祝儀の禁止、力士の羽織袴での場所入り、行司の烏帽子直垂着用、幟・積樽の廃止、東西制の導入などにより相撲の近代スポーツ化がすすめられた。東西制は団体優勝制度であり、優勝旗が授与された。時事新報社の優勝額贈呈により、現在の優勝制度が始まる。それまでは幕内力士の出場がなかった千秋楽にも、幕内全力士が出場するようになり、名実共に10日間興行の体裁が整った。興行日数は、1923年5月から11日間に増加した。

1910年5月の夏場所に行司の衣装がそれまでの裃、袴から烏帽子、直垂となった。

1917年11月29日に両国国技館が火災で焼失し、一時期靖国神社境内で本場所が行われたこともあった。(右写真は「大正11年の両国国技館」ジャパンアーカイブズ)

興行としての相撲が定着することで、力士の待遇の近代化への要求があらわれ、いくつかの紛擾事件が起きるようになった。東京相撲では、1923年に三河島事件と呼ばれる力士待遇の改善を求めるストライキが発生し、その処理を巡って横綱大錦卯一郎が廃業する事件が起こる。大阪相撲においても同年龍神事件と呼ばれる紛擾が発生し、力士他多くの関係者が廃業し、大阪相撲の実力が低下する。1923年9月1日の関東大震災により両国国技館も屋根柱などを残して焼失。1924年1月春場所は、両国国技館再建中のために名古屋で開催された。それを不満に思った一部の力士は、本場所に出場しなかった

三河島事件とは、1月9日、力士会の総会で力士養老金(いわゆる退職金)の倍増の要求が出た。大日本相撲協会側がそれを却下したので、横綱・大関を除く力士たちは東京・三河島の工場にたてこもり、春場所の開催をボイコットした。 1月12日、協会側は残留力士で春場所を開催しようとした。しかし、協会側に残っていた関取は横綱の大錦卯一郎・栃木山守也以下7名だけだったので、この場所は関脇以下の関取衆は不出場、横綱・大関は土俵入りのみの出場という体制でひとまず強行されたがすぐに行き詰まり、横綱・大関と立行司の木村庄之助・式守伊之助の7名による調停も不調に終わった。力士側の代表は関脇太刀光電右エ門ほか7名があたった。

1925年、当時の皇太子・裕仁親王(後の昭和天皇)の台覧相撲に際して、皇太子殿下の下賜金により摂政宮賜杯、現在の天皇賜杯が作られる。これを契機に、東京・大阪の両相撲協会の合同が計画され、技量審査のための合同相撲が開かれる。また、1926年1月場所から、今までは優勝掲額のみであった個人優勝者に賜杯が授与されることになり、個人優勝制度が確立する。

昭和戦前の大相撲

1927年、東京相撲協会と大阪相撲協会が解散し、大日本相撲協会が発足したのち、本場所は1月(両国)、3月(関西)、5月(両国)、10月(関西)の計4回:11日間で開催(1929年は10月でなく9月)されるようになる。ただしこの時期には、番付編成は若干の試行錯誤も伴いながらも、1月と3月、5月と10月のそれぞれを合算して行われ、関西本場所では優勝額の授与も行われなかった。

この時期、勝負に関する様々な改定が行われた。1928年からラジオ中継が始まったために、仕切り線と仕切りの制限時間が設けられた。個人優勝制度確立の中で、不戦勝・不戦敗制度の全面施行、物言いのついた相撲での預かりの廃止と取り直し制度の導入、二番後取り直しによる引き分けの縮小化がこの時期に実施され、勝負を争うスポーツとしての要素が強くなった。(右図は「土俵と各配置(行司・力士・勝負審判・控え力士・力水・塩)」)

1931年4月の天覧相撲の際、二重土俵の内円を無くし径4.55m(15尺)の一重土俵にした。またこの際にそれまで四本柱の下に座布団を敷いて土俵上に据わっていた勝負検査役を土俵下に降ろし現在と同じ配置の5人とした。

1932年1月に起こった春秋園事件で大規模な待遇改善要求を掲げて多くの力士が脱退したため、2月、3月は各8日間の変則興行となり、脱退組が関西角力協会を翌年作ったことで1933年から関西場所は廃止され、年2回の開催(1月、5月)となった。(右写真は「春秋園」の一室での天竜)

69連勝を記録した双葉山の影響で興行日数は1937年5月場所より13日間となり、1939年5月場所より15日間と移り変わる。

第二次世界大戦の影響が次第に相撲界にも及び、1944年に両国国技館が大日本帝国陸軍に接収され、5月場所から本場所開催地を小石川後楽園球場に移した。そのために1月場所開催は困難になり、1944年には10月に本場所を繰り上げて開催した。1945年5月場所は晴天7日間、神宮外苑相撲場(後の明治神宮第二球場)で開催予定だったが空襲などのために6月に延期、両国国技館で傷痍将兵のみ招待しての晴天7日間非公開で開催された。今日まで唯一の本場所非公開開催である。これが戦争中最後の本場所となった。ちなみにこれらの場所の幕下以下の取組は事前に1944年の10月は神宮外苑、1945年の6月は春日野部屋で非公開で行われ、このことを記念して、春日野部屋では後々まで稽古場に当時の土を保存していた。また、兵役に就いた力士や、戦死・戦災死・捕虜として抑留された力士もいた。(右上写真は、Google;Shinobl.jp「1935年の両国国技館」)

(以上 Wikipedia より抜粋)

昭和戦後以降の「大相撲」は次回に掲載します。


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日英首脳がロンドン塔で会談、「円滑化協定」に署名…自衛隊と英軍の訓練しやすく

【ロンドン=藤原健作、池田慶太】岸田首相は11日午後(日本時間11日深夜)、ロンドン市内の世界遺産「ロンドン塔」で英国のスナク首相と会談した。会談後、両首脳は自衛隊と英軍が共同訓練をしやすくする「円滑化協定」(RAA)に署名。両国の安全保障協力の深化に加え、経済分野での連携強化も確認した。

会談の冒頭、岸田首相は「日本と英国は特別な戦略的なパートナーとして、力を合わせて国際社会の課題に取り組む責任を担っている」と述べた。スナク氏は「日英関係はかつてなく緊密だ。私どもはG7(先進7か国)を中心に前進しなければならない」と語った。昨年末に改定された日本の新たな国家安全保障戦略を「歓迎する」とした。(1/12  0:47 読売新聞online ,newe.yahoo.co.jp、写真は Google ;「首脳会談で握手を交わす岸田首相(左)とスナク英首相(11日午後、ロンドンで)」=源幸正倫撮影(読売新聞))

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