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日本の自動車産業を振り返る!(3)

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「世界のトヨタ」の話です。

「トヨタ自動車」はやはり総てが別格でした。私は地元の出身ですのである程度知っていたが、関東で仕事を覚え「日産自動車」を最初に相手にしてきたから尚更です。各担当のエンジニアに接する都度に感心する事・驚く事が度々ありました。関東を離れる時に、事情を知ってる業界の友人・知人たちは「名古屋の商売は閉鎖的だ!外部からの売り込みは難儀だぜ!」「特にトヨタはキツイねー」とアドバイスを貰いましたネ。

は約35年前(1981年) 創立から携った企業を離れ、一人でセールスエンジニアとして当地に来たのです。家庭の事情もありましたが、この仕事に就いたからには地元に戻り「三菱自動車」「トヨタ自動車」と取引したかったのも事実です。地元ですから幼い時から「トヨタは厳しい、子供はトヨタに入れたくないね!」とトヨタの社員の言い草?を覚えていますがーーー。

初めての「トヨタ自動車」は、調べるほどにその組織は大変なものでした。現在の本社の向かいにある超豪華な15階建(高さ69m,延べ面積72,000㎡)「技術本館」(トヨタテクニカルセンター、2003年11月竣工)は、私がビジネス展開をしてた頃は同地区で3階建(延べ面積7,200㎡)でした。此処に「テクニカルセンター」を設立したのは1954年で当時の挙母工場の東側で、必要最小限の2階建から始まり、1963年10月に3階建に増築したのです。現在は設備としては最先端の試験用装置、実験・分析機器などを揃えていて、業務内容は当初からの製品設計、デザイン、プロットタイプ(試作品)の研究開発と企画、車両の評価等です。当時も正面受付は明るく広く、カウンターで応対する女子社員は、洗練された制服姿でいずれも美人且つ愛嬌がありました。[日産自動車は1981年に厚木市の山あい ゴルフ場跡地に「日産テクニカルセンター(NTC)」を設立、2006年に総面積 4,200㎡のデザインセンター、2007年にはエンジニアセンター等が新設された。]

先ずはデザイン部の担当エンジニアと話ができるようになり、私が関東でこの仕事を覚えた事で興味を持ってくれ度々会ってくれました。横浜時代は私自身が素材(エポキシ樹脂の工業材料)をブレンド(調合)してたので、現在の問題点などを聞き出し素早く対応でき、一ヶ月後には部分的ですが材料を納入するようになりました。どこかの自動車メーカーとは違ってここまで一切接待はないです。そして此処の担当者らからトヨタ各工場の内容とか私のターゲット先が判ってきたと思います。

当時 トヨタ自動車貞宝工場(第六生産技術部・ダイエンジニア部他)の現場で型計画課の某組長と商談していました。新しく紹介した工業材料を気に入ってもらい「おーい!これはナンボするんだい?」「うちの会社は貧乏だからなーー!」と、唖然です!「世界のトヨタ」の現場の組長に価格を問われたのです。現場の人達から価格を尋ねられたのは過去にない事でした。それが縁だったのか「トヨタ貞宝工場」とは長いお付き合いになりました。後で分かったことですが、当時「六生」(第六生産技術部)がトヨタの内製試作の中心だったようです。

新しい試作工法を採用してくれたのもこの「六生試作整備課」ですが、ビジネスの展開は面白いもんですね!横浜時代に考案した試作品の新しい作り方で「真空注型法」があり、真空注型装置(手動攪拌と自動攪拌の二種類)と材料を販売していて、自動車部品では小物類で、家電関係等に実績はありました。これはエポキシ樹脂等で作成した成形型で上・下型の間の製品形状に真空下で特殊ウレタン樹脂を流し込み硬化(化学反応)させて成型品を完成させる工法。従来工法より一体品であるため強度が強く、納期が早く、費用は半分以下に抑えられ画期的な工法です。従来はABSの薄板やABSブロックを加工して、手作りで試作品の形状に仕上げていくのです。製品の試作品は30〜50個は必要で期間と費用は大変な金額になっていたのです。この目的は、デザイン・強度テスト・収納嵌合テスト等で、量産では金型で製品成形(射出成形)しますが金型がないプラスチック試作品・製品の作り方です。

ある三河の木型屋の親父にこの工法を宣伝したら、小牧の某大手部品メーカーまで話が進み、試作部長の前でサンプル品を見せてプレゼンに展開しました。その二、三日後にはトヨタのエンジニアも加わり詳細を打ち合わせ、「カローラ」のインパネインサートの「号口試作」に採用されたのです(試験のための試験に約300万円三社で負担)。

未だ実績のない自動車の大物プラスチック部品のしかも「号口試作」、関東から波及した試作工法でいち早く取り入れた日産・ホンダでさえ実施していない分野です。やはり色々問題が発生し納期が微妙になり、その時「六生」の係長が私に「トヨタは納期が大事なんだ!遅れるとウチの部長が次の部長に謝罪に行くことになるんだ!」「エライ恥なんだよ!こっちで無理なら関東に持って行ってもいいから間に合わせてくれ!」と。関東ではやってないとは言えなかったし、我々は三日間徹夜して納期に間に合わせたねーー「号口試作」にラインがあるーーー?この場合の従来法は簡易型(亜鉛合金型)による射出成形で試作品を成形ーー?

「真空注型方式によるプラスチック部品の成形」は、これをキッカケにかなりの分野に普及して真空注型装置と材料は好調に売り上げを伸ばした。トヨタ自動車第六生産技術部でも本格的な採用(自動真空注型成形法)に踏み切りました。トヨタ系部品メーカーの殆どがこの工法に注目したのです。成型品の品質が良くなれば小ロットの製品に応用を検討し始め、その一番手が何と刈谷のD社でした。それと「タイトヨタ」ではーー(別項で述べる)。

ここでの状況・立場を説明します。というのは、この真空注型成型法がブームになった1987年に横浜の会社を退職(先代社長が死去、息子が社長に就任し私はクビになった)。しかし私は今までと同じ業界で即 「起業」したのです。横浜の会社は「日産」のテマエ?中部地区には興味がなかったようです。当時の中部地区での売り上げは約2千万/月で全体の2割あったのに(ちなみに5年前は約600万/月でした)。そして 2000年春 破産宣告!

 

トヨタ秘話1)1989年発売の高級ブランド「レクサスLS400」は承認最終段階で、背の高い重役が試乗時 頭がルーフにかかり、それを忖度した主査は一週間で車高を10cm高くして承認されたーーー?

トヨタ秘話2)2003年竣工した「テクニカルセンター」の一階の高さは、設計図より30cm低くなった、豊田英二社長の指示で建築費を節約ーー?

 

注)次回(4)では、トヨタ系部品メーカーとの経緯や起業後の話をしたいと思っております。面白いですよ!是非 期待して下さい。

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