「起業後のこと」
1987年秋自宅隣りの空き地にレンタルプレハブを建てての起業でした。又 同時期に横浜の会社との関係を大事にしたローカルの販売店が自衛の意味で手を回したのか前の会社名で「回状」(離縁状?三行半?)が各得意先に届いた様です。丸で暴力団の離縁状と同じで驚き・感心しましたが、面白いことに、過去に付き合いがないのに わざわざ私と取引したいと言ってくれた会社もありました。当初は差し当たり一人で技術アドバイザーでもと考えていたのです。
ところが横浜の会社から昔の部下(エンジニア)が退社して合流することになり、本格的な会社組織を目指すことになったのです。横浜時代も0からの出発でしたから経験があり、大した心配もせず、2年後には社員も増えプレハブから貸工場に移りました。前の会社で納入した真空注型装置の関係やら新規問い合わせ等が頻繁にあり、社員は営業・事務・技術・製造と10名を超える様になりました。さすがトヨタさんです、横浜の会社より中部地区では貴重な企業として認めてくれた様です。お世話になった先代は大した人でした、給料を頂いていると中々起業する踏ん切りはつかないものです。クビになればやらざるを得ないーーーー。
横浜の会社を辞めたことで名古屋の注型機メーカーの社長らと会う機会が増えました。それで台湾向けに真空注型用の材料(特殊ウレタン樹脂)を依頼され、前会社の同等品をサンプル提供しました。最初は20k set位で、直ぐに100k setのオーダーが入り台湾に来て欲しい連絡がきました。当時は未だ一人で始めたばかりで製造設備は何もなく、原料メーカーにOEMでお願いし急いで商品化しました。台湾のマーケットがさっぱり分からず、そりゃそうです、一度も行ったことがなく、ユーザーがどんな業界なのか? 前会社にそれとなく探ってみると、2年位前から新社長が行き出して、今までに何回かで合計約1tの出荷があるようだ!と。そんな数量では中々出張経費が出ないです。起業したばかりで余裕がなく1t出たら訪問しますか!と遠回しに返事したのです。ところが1ヶ月後に1tのオーダーがきて今後2ヶ月毎に2〜3tを予定とのこと。慌てて表敬訪問?し台湾の現地調査しました。全く想定外で起業して1年目のことでした(台湾マーケットは主用途が家電・OA機器の試作品等ですので後日 記事にします)。
この頃です、試作業界に「光造形システム」(ラピッドプロットタイピング)が席巻しました。1980年名古屋工業試験所の研究者が光硬化性樹脂を使った光造形法(3Dプリンターの元祖)ですが、1987年米国企業が実用化に成功し、各国各社もそれぞれの理論で「3Dプリンター」の製造販売したのです。装置は約1千万〜5千万円以上で使用樹脂も8千〜2万円/kで高価でしたが、「バブル経済」で特に自動車産業の試作業界が競争で飛びついたのです。「物体コピー?」なんです、数値を装置にインプット又はデータのテープをセットすれば、無人で短時間に3次元形状の造形物ができるのです。
1989年 平成になり世の中は「バブル経済」に自動車産業も順調に売り上げを増やし、私共の試作業界はいけいけドンドンの時代でした。だから モデル主体の木型屋は借金して「光造形システム」を購入したのです。だがそれがバブルであったのに気付くのに数年もかかりませんでしたーーーー(この話は長くなるのでこの辺でやめます)。
1991年 「TSOP」(Toyota Super Olefin Polymer)と言う画期的なプラスチック素材が発表され「クラウンバンパー」に採用されました。これはトヨタ自動車材料技術部が発案し東レ・昭和電工などの化学メーカー7社と2年をかけた共同開発から完成した新素材で、そのことにより 従来は「ウレタンRIMバンパー」(高級車用)、「PPバンパー」(普通車用)だった常識が一変したのです。「ウレタンRIMバンパー」はカラーリングでき、鉄板との一体成形も可能で重厚さが増して高級感はあるが成形に時間がかかる(80年代は全盛期)。一方「PPバンパー」は成形性は早く安価だが肉厚に制限がある。「TSOP」はゴムの中に樹脂を入れる発想(ポリマーアロイ)で高流動性・高剛性・高衝撃性を併せ持つプラスチック素材です。車先進国の米国・欧州のバンパー思想とは異なる日本だから出来上がった素材と言えます(バンパー思想の説明は長くなりますので別に設けます)。その後「TSOP-1」高衝撃(バンパー用)、「TSOP-2」高流動(ガーニッシュ)、「TSOP-3」高剛性(インパネ)と広がり「TSOP-5、-6」で内外装統合材料となったようです。2000年に「レクサス」の「TSOPバンパー」は、米国SPEから名誉ある「革新技術賞」が与えられました。勿論 トヨタ自動車以外の他社も同様な素材が開発され広く使用されているようですーー。
よって当然 試作品も「TSOP」の物性に合わせた材質となり、ユーザーの要求通りの特性を持った注型用材料を商品化することで「真空注型法」更に用途が広がりました。
1992〜1993年トヨタ貞宝工場第六生産技術部試作整備課と組んで共同開発の「誘電加熱樹脂成型用の成形型」が完成しました。これは従来の真空注型成形法(注型樹脂はTSOPに特性を合わせた特殊熱硬化性ウレタン樹脂)では1サイクルに約2時間かかっていたのを「電子レンジ」の理論を利用して、1サイクルを20分にした画期的な成形法です。(「六生」の真空注型装置は、私が横浜の会社と揉めた時期で納入できず名古屋のメーカーの装置でしたが、フォローは続けていたのです)さすがトヨタです、確か東芝?に発注して「約9㎡・高さ2.5mの電子レンジ」を作らせたんです。基礎実験は全て私が担当して成形型の材質(特殊エポキシ樹脂の複合材料)・手順等を決めてテストを繰り返し要求通りの結果が得られました。この「誘電加熱樹脂成型用の成形型」は、試作整備課の担当者と私の共同パテントになっております(1995年公開)。しかし数年後には貞宝工場で使われていたこの高価な電子レンジ室は、試作整備課の課長の交代でトヨタ社内から外注先に引き取られた様です。理由は危険だからとのことーー!
1992年頃 下市場町のK大手部品メーカーの技術部の I 氏が退社して職場を「タイランド」に移しました。彼は丁度1年前にFRP(Fiber Reinforced Plastic)のエンジニアとしてタイの自動車のパーツメーカーM社に出向してて、其処の社長と懇意になりK社に辞表を出し渡タイしたのです。彼は退社前 私に「タイで一旗揚げるから必要な物資を貴殿がタイの私宛に送ってくれ!」と。このことから私は彼を含めて「タイランド」と密接なお付き合いに展開するのです。先ずは「タイトヨタ」の地区限定1000台の「カローラ」の「フロント及びリアバンパー」の現地生産に協力することになったのです。
参考文献:「TSOP開発25周年記念講演」資料 DR NOMTAK、「産業技術史資料データベース(ウレタンバンパー開発の歴史)」etc.
(今回は此処までです。続きは次回を期待してください!)