2001年当初のA社の希望は、当社に40%の資本を入れ業務提携でした。返答を2ヶ月待ってもらい、その間 私なりのA社を調査・分析しました。規模的には当社の約10倍の売り上げで、業務内容は自動車関係より船舶・飛行機産業と原油パイプライン分野向けの合成樹脂の工業材料の製造販売。世界12ケ国に子会社を持ちインターナショナルな企業で、資本的には現経営陣が60%の資本を持ち、残り40%はユダヤファンド。本社機構はPARIS郊外にあり、同場所にR&Dセンターと生産工場を持ち従業員は約200人。株式は非公開。(この工業材料の説明は後日記事にする予定です)
私の腹は100%のM&A(しかも有利な条件での)を考えていました。この数年前から海外出張で度々一緒になるToroi在住のK 氏から「55才で退職、余生はフロリダで悠々自適な生活だ」とよく聞かされたのです。米国で世話になった大先輩 I 氏に先ずは相談しました。「それも一つの道だよ!」と I 氏、「仏人は世界で一番ケチな人種だからね、要注意ーー!」この発言はK氏です。
私は判断し直ぐに全社員(15名)を集め、この会社が仏国の会社の傘下になるが社員の待遇・業務内容は一切変わらない。やる気と語学次第だが仏本社勤務も可能だ。当分 私が社長だが東京で採用したGMが次期社長として入ることを説明、了承してもらったーーー。
その間 A社のP社長も我が社に来ましたね!代表的なラテン系の体型で背丈は私より低いかも、年齢は私より5,6才若いようだが腹が出てて恰幅は良かった。その後 私もPARIS郊外のA 社を訪問、その間 私に日本人女性の通訳をつけてくれました。昼食だったか夕食だったか忘れたが、P社長から「何が食べたいか?」と言われ、「FROG!」と言ったら、少し経ってボイドした子供の手大のカエルが、五体丸ごとで皿に5,6匹並べて出てきたねー!エッフェル塔が見える洒落たレストランで、白ワインを飲みながら味わいましたよーーー。
約2カ月後 監査法人「トーマツ」が三日間調査した後?株式を100%譲渡で、現体制のまま 5年間私は社長でM&A が成立したのです。勿論 私の後に任されるGMを東京で採用しました。結果的に私は、仏本社の経営方針とソリが合わず3年で正式退社しました。M&A後の初年度から売り上げが落ち込み、P社長からは「ノーーーお前に騙された!」と。儲かる様だったら売りませんよ!ねーーーー。
この3年間 仏国の会社と組んだ事で分かった事が色々ありました。先ず 銀行からの借り入れ(融資)、尚 私がそれらを個人補償している件が理解できない様でした。彼らの資金はファンドからで、銀行は短期の利用?だけらしい!原材料の仕入れ価格を比較すると大体において2、3割近く安いのだ。商社・代理店なるものはなく、直接購入でしかも現金買いなのです。営業に関して言いますと、一人一人が月ごとの年間売り上げ計画を立て、月末の会議で達成率とその粗利を出すーー。とりあえず 社長の私にも言われたが反発しましたねーーー!
尚 私が学生の頃の1970年に設立、創業から約17年在籍した横浜の会社は、2000年春に倒産した。私がよく知っている幹部社員は全く知らず、出勤したら社内に入れず入口の張り紙で倒産を知ったとのことーーー!私をクビのした2代目社長は、数年前に心筋梗塞か何かで突然死、現在は彼の息子が3代目で若い社長だった。その数日後、3代目社長のお母さんが自殺したようだーー。
私は自社を仏国のA社との100%のM&Aに望んだ理由は、
1)この自動車業界の将来の展望・当社の方向性が全く見えなかったからだ。
2)零細企業であるのに身内・親族が社員に居なかった。これは昔 私がセールスエンジニアの時に、あるお得意さんの会社社長が「会社経営は男の最高の道楽だ!ロマンだ!身内なんか入れない方がいい。まして子供に継がしちゃいかん!」と言い、納得してそれを実行したかった。
3)後継者と思っていた社員が、社員同士のトラブルで退社したこと。
4)「Toroi」在住のK氏が言うように、元気なうちに退職し、好きなことをやりたかった!魚釣り!旅行!ゴルフ!文筆活動もその一つだ。畑での野菜作りはなかったが、料理をするようになりその素材に興味が持ったのだ。
5)自分は「運」だけで生きてきた、良い時に止めるのがいいのだ。長くやれば「ボロ」が出るーーー。
6)相手が外国のしかも仏国の同業企業だったからだ。A社は私の手つくりした零細企業を必要とし、会社として評価してくれた。「見栄」もあった。
売り上げは私の予想通りの「トヨタの大改革」のせいか?或いは当社が仏系になってユーザーが購入を躊躇したせいか?下降が続き、責任を取り三年目で退職しました。銀行の個人補償が、2年遅れでA社が契約通り全額返済し無くなったことにもよります。