5)「モルガン財閥」
アメリカ合衆国の四大財閥の一つ。(米国四大財閥とは、「ロックフェラー」「モルガン」「デユポン」「メロン」で、三大財閥は「ロックフェラー」「モルガン」「デユポン」)
● モルガン家の始祖は、1636年に英国のウェールズから移住してきたマイルス・モルガンにまでさかのぼる。「ジョン・ピアポント・モルガン」の祖父までの3世代(ジョゼフ1~3世)は、コネティカット州ハートフォードに住み、職工、農民から身をおこし、コーヒー店、旅館、不動産、険業へと手を広げて財をなした。
基礎を築いたのは織物業で成功したジョン・ピアポントの父「ジュニアス・スペンサー・モルガン(1813~90)」。「ジュニアス」は、英国の銀行家「ジョージ・ピーボディ」と結んで「 J.S.モルガン商会」を設立,南北戦争では北部のために,普仏戦争ではフランスのために資金を調達して巨利を得た。(以上 Wikipedia,kotobank.jp、写真は「ジョージ・ピーボディ」)
1837年アメリカの「ジョージ・ピーボディ」が、ベアリング家の親戚であるブラウン家のブラウン・ブラザーズを通じてロンドンのビジネスに参入し、ネイサン・ロスチャイルドの代理人となります。これが、ロスチャイルドがアメリカの金融に参入するきっかけとなります。この「ジョージ・ピーボディ」は、キダー・ピーボディ証券の中心人物で、ピーボディ基金の設立者です。ところが、彼には子どもがいなかったので、自分の後継者に「ジュニアス・モルガン」を指名し、このことで「モルガン商会」が「ロスチャイルド」のアメリカの代理人となります。(Google;gentosha-go.com)ここで、ユダヤ人嫌いだった「モルガン一族」が「ユダヤ財閥」の「ロスチャイルド一族」と関係します。
● 1871年「ジュニアス」の息子の「ジョン・ピアポント・モルガン(John Pierpont Morgan)」(モルガン財閥」創始者)が「アンソニー・ジョセフ・ドレクセル」と共同で金融会社「ドレクセル・モルガン商会」を設立(1895 J.P.モルガン商会と改称)して政府金融に進出。その後鉄道金融へ進出してアメリカの鉄道の大部分を支配し,さらに工業金融も手がけて,1892年ゼネラル・エレクトリックの設立に出資,1901年鉄鋼大合同を指揮して「ユナイテッド・ステーツ・スチール」を設立,両社を支配下に収めたほか,金属,ゴム,石油,石炭,製紙,食品などの有力企業を傘下に加え巨大な財閥を形成した。(左上写真は「ジュニアス・スペンサー・モルガン」、下に息子「ジョン・ピアポント・モルガン」(1837- 1913年)は、アメリカの5大財閥の1つであるモルガン財閥の創始者、Wikipedia)
●「3代目モルガン(JPモルガン二世)」 (1867~1943) は父と同姓同名のひとり息子で,父の死後「モルガン商会」の支配者となり,第1次世界大戦中に連合国のアメリカにおける軍需物資買い付けで活躍した。1935年「モルガン商会」は証券業務を分離して「モルガン・スタンレー商会」を設立,モルガン商会は 1959年,ギャランティ・トラストと合併して「モルガン・ギャランティ・トラスト」と改称,1969年持株会社 「J.P.モルガン・アンド・カンパニー」設立。(右写真は「JPモルガン二世」bushoojapan.com)
1904年(明治37年)1月20日は、京都の芸妓・お雪がアメリカの大富豪ジョージ・デニソン・モルガン(JPモルガン二世)に身請け4万円(現在の8億円)されたとされる日です。(右写真は「お雪」Google;bushoojapan.com)
「J.P.モルガン・アンド・カンパニー」は 2000年,チェース・マンハッタンと合併して 「J.P.モルガン・チェース・アンド・カンパニー」となった。第2次世界大戦後は独占資本に対する世論の反感,政府による反独占の政策もあり,その活動範囲はしだいに狭くなった。ジョン父子は各種慈善事業にも積極的であった。(写真は「JP Morgan C.&C」NYC」strong-career.com)
● 「モルガン・スタンレー(Morgan Stanley, NYSE: MS)は、アメリカ・ニューヨークに本拠を置く世界的な金融機関グループである。JPモルガンやゴールドマン・サックス、メリルリンチ等とともに、投資銀行業務の幅広い分野においてリーグテーブル上位に位置する名門投資銀行と言われている。2011年7月以降は三菱UFJフィナンシャル・グループの持分法適用会社にもなっている。(Wikipedia)
●「最良の顧客と最良の事業を行う」という「ジョン・ピアポント・モルガン」の教訓を貫くあまり、金融変革のさなかで拡大する大衆市場をつかめないまま、モルガン金融機関の成長は1990年代後半に減速した。そして、1999年12月のグラス‐スティーガル法撤廃から9か月後の2000年9月「J・P・モルガン」はロックフェラーの「チェース・マンハッタン」に吸収合併されることとなった(合併期日は2000,12/31)。独占的な金融集団として100年以上にわたりアメリカ金融界をリードしてきた「J・P・モルガン」は、チェースの軍門に下り、「モルガンの没落」The fall of Morganという評価がウォール街でなされるようになった。
しかし「チェース・マンハッタン」と「J・P・モルガン」の合併による新会社「JPモルガン・チェース(JPMorgan Chase & Co.)」の発足は、国境を越えた経済活動が活発化するなか、金融提携によるロックフェラーとモルガンの新たなグローバル戦略として規定することもできる。(以上 Google;kotobank.jp[奥村皓一])(写真は「JP Morgan C.&C」NYC」ja.wikipedia.org)
● 現在「JPモルガン・チェース・アンド・カンパニー」は米国ニューヨークに本社を置く世界有数のグローバル総合金融サービス会社です。投資銀行、証券取引、資金決済、証券管理、資産運用、プライベート・バンキング、コマーシャル・バンキング、コンシューマー・コミュニティ・バンキングなど多岐にわたる金融サービスを提供しています。
グローバルに展開している法人向け事業は「J.P.モルガン」、米国で展開している中小企業や個人向け事業は「チェース」ブランドを用いています。「JPモルガン・チェース」は、総資産、収益力、時価総額で世界屈指の規模を誇っています。「J P」は、創業者の「ジョン・ピアポント・モルガン(John Pierpont Morgan)」です。(Wikipedia)
● 日本におけるJPモルガンの歴史
日本でのJPモルガンの歴史は関東大震災の翌年(1924年)、日本政府が初めて発行した震災復興公債(1億5000万ドル)を引き受けたことに始まります。この功績が認められ、以後、日本でも事業を拡大していきました。
ちなみに、JPモルガン・チェース銀行の前身であるチェース・ナショナル銀行は、第2次世界大戦の直後(1947年)に外国銀行として初めて東京支店を開設しています。(Google; maonline.jp)
日本において現在は、JPモルガン証券株式会社、JPモルガン・チェース銀行東京支店、JPモルガン・アセット・マネジメント株式会社の3社 が事業を展開してい ます。投資銀行、債券・株式、為替資金などのマーケット業務、資金決済や貿易金融、資産管理の媒介、資産運用などのサービスを事業会社、金融機関、機関投 資家、政府機関などのお客様に提供しています。(Google; JPmorgan.co.jp)