7月29日(木)「東京オリンピック2020」七日目です。
記憶に残る「オリンピアン」をまとめて見ました。
◉「アベベ・ビキラ」 (1932/8/7〜1973/10/25)は、エチオピア出身の陸上競技選手で、オリンピックのマラソン種目で史上初の2大会連続優勝(1960年ローマ・1964年東京)を果たし、2個の金メダルを獲得した。サハラ以南のアフリカ出身者としては初のオリンピック金メダル獲得者でもある。オロモ人である。(右写真は「東京オリンピック1964のマラソンにて」 Google ; sankei.com)
1960年9月のローマオリンピックに際しては、偶然に靴が壊れたため(さらに現地で新しい靴を買おうと思ったが自分に合うものがなかったため)裸足で走ることとなった。もともとアベベは子どもの頃から裸足で野山を駆け回っており、足の裏の皮は厚く、裸足で走ることに慣れていた。アベベはスタート当初は最後方に位置し、競技場を出ても最後方のままであったが、15kmを過ぎて先頭集団に入り、30kmでトップに出るとあとはそれを譲ることなく、当時の世界最高記録となる2時間15分16秒2で優勝した。
レース前には全く無名で、アベベが先頭集団に加わると「あれは誰だ」という声が沿道からあがり、プロフィールにもほとんど記載のないアベベがゴールのコンスタンティヌス凱旋門に入ってきたとき各国の報道関係者も騒然となった。アベベはゴール後に「まだ余力はある。走れと言われればもう20kmぐらい走れる」と話した。(右写真は「ローマオリンピック1960のマラソン優勝」ja.wikipedia.org )
アベベの優勝は、アフリカの高地民族が長距離走への適性を持つことを世界に知らしめた。また、エチオピアの国土が空気の薄い標高2,000m前後の高地にあり、そこでトレーニングを積んだことで心肺機能が高められたのではないかという見解が示され、陸上競技に高地トレーニングが導入されるきっかけとなった。(Wikipedia)
◉「マーク・アンドリュー・スピッツ」(1950/ 2/10〜71歳)は、アメリカ、カリフォルニア州モデスト出身のアメリカ人男子競泳選手。1972年ミュンヘンオリンピックで当時史上最多となる1大会7個の金メダルを獲得した。2008年北京オリンピックでマイケル・フェルプスが8個の金メダルを取るまで30年以上記録を維持していた。
100m 自由形、200m 自由形、100m バタフライ、200m バタフライ
400m フリーリレー、800m フリーリレー、400m メドレーリレー(合計 7 個の金メダル)
スピッツが生涯獲得した金メダル数9個は同じ競泳のマイケル・フェルプスに2008年北京オリンピックで抜かれるまでは最多タイで、現在は体操のラリサ・ラチニナ、陸上のパーヴォ・ヌルミ、陸上のカール・ルイス、陸上のウサイン・ボルトと並ぶ2位タイ記録である。1968年のメキシコオリンピックの前にすでにいくつもの世界記録を持っていたスピッツは、大胆にもオリンピックで6つの金メダルを取ると宣言した。しかし、スピッツが取れた金メダルは結局2つのリレーだけで、メドレーリレーでは代表となることはできず、100mバタフライでは銀メダル、100m自由形では銅メダルに終わった。スピッツはこの失敗をバネに6つの金メダル獲得のため努力し、結果的には7個の金メダルを次のミュンヘン五輪で取ることになった。(以上 Wikipedia 、右写真は Google ; afpbb.com)
◉「マイケル・フレッド・フェルプス」(1985/6/30〜36歳)は、 いまから12年前の2008年8月17日、北京五輪の競泳男子400メートルメドレーリレー決勝で米国が優勝。その第3泳者のマイケル・フェルプスはその瞬間、五輪史上最多となる1大会8冠を達成したことを覚えている方も多いことでしょう…。
「マイケル・フレッド・フェルプス」は、アメリカ合衆国の競泳選手。身長193センチ。体重91キロ。メリーランド州ボルティモア出身。 世界の頂点に昇りつめた実力から「水の怪物」「ボルチモアの弾丸」「トビウオ」「史上最高のオリンピアン」の異名を持つ。
イングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズ、ドイツの血を引く家庭に生まれる。2020年時点、400m個人メドレーの世界記録保持者であり、“水の超人”イアン・ソープ(オーストラリア)に代わり、世界の頂点に昇りつめた「水の怪物」。自由形でも世界トップレベルの実力を誇り、一大会で複数の種目を制する体力を活かして、オリンピックメダル獲得数史上1位の記録も打ち立てた。主種目としたバタフライをはじめ、さまざまな種目で頭角を現したことから史上最強のスイマーとの呼び声も高い。
もっとも得意とした200mバタフライでは、2001年3月に男子競泳史上最年少15歳9ヶ月で世界記録を更新してから2019年7月まで18年間世界記録保持者を維持し2009年7月まで7度世界記録を更新、2001年7月の世界選手権で優勝してから世界大会(オリンピックと世界選手権)では長らく敗れていなかった(2005年の世界選手権はエントリーせず)。傑出した選手の1つの記録が、10年以上という長い年月に渡り世界記録として残ることはしばしばあるが、一人の選手が長い年月同じ種目の記録を更新し続けるということは競泳史上では稀である。同種目では2002年パンパシフィック選手権で敗れて(2位)以降、出場した60回のレース全てで優勝していたが、2011年4月8日から10日に行われたミシガングランプリで9年ぶりに敗れた。オリンピックにおいては、アテネ五輪(2004年)と北京五輪(2008年)で金メダルを連続取得していたが、ロンドン五輪(2012年)ではフィニッシュ寸前に抜かれ、100分の5秒差で2位(銀メダル)となった。しかし、これがオリンピックメダルとしては歴代最多タイの18個目となった。
リオデジャネイロ五輪競泳競技終了時点でオリンピックメダルの通算獲得数28個、金メダルの通算獲得数23個となり歴代1位の記録となっている。また、オリンピック1大会でのメダル獲得数8個(アテネ五輪・北京五輪でそれぞれ8個)というのも歴代1位タイ記録である。しかも北京五輪で獲得した8個のメダルは全て金メダルであり、オリンピック1大会で8個の金メダル獲得というのは史上初の記録となった(うち7つは世界新記録、右写真は、Google ; esquire.com )。
広げると身長より遥かに長い腕と大きな足そして非常に柔らかい関節は、一掻きで大量の水を掻くことが出来るので、大きな推進力を生み出す。爆発的な推進力を生み出すドルフィンキックは、フェルプスのこれは全く体幹の軸がブレないため、抵抗が少なくてすむ。また、全身を鞭の様にしならせているので、更に推進力が増す。さらに驚異的なスタミナが、他の選手と違うフェルプス最大の特徴である。200m自由形、バタフライの150mターンは心肺能力が限界に近いので、通常はすぐに浮上してくる。しかしフェルプスはそこでまだ10m以上潜水できるほどのスタミナを持つ。彼の泳ぎは他の選手と比べて、スタートとターン時の潜水距離が圧倒的に長く、潜水から浮上した時点では他の選手より体半分リードを奪っている。この泳法は彼が得意とするドルフィンキックを最大限に生かす泳法と言える。
バタフライは泳ぎの特性上ゴールタッチを決めることが難しいのだが、フェルプスはその技術にも優れており、ゴール局面で競り合っている状況でタッチを決めて競り勝ったことがたびたびある。特に2008年北京オリンピック100mバタフライでの逆転は大きな話題となった。(wikipedia)
夏季オリンピックでの戦績
金 | 銀 | 銅 | |
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個人種目 | 13 | 2 | 1 |
団体種目 | 10 | 1 | 1 |
合計 | 23 | 3 | 2 |
世界選手権では通算33個のメダルを獲得している。うち、26個が金メダル。