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北朝鮮の建国

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1月26日(水) やや曇り(1〜12℃)昼頃には晴れるでしょうーーー!

「野菜作り」は暫く「冬休み」です。

◉ 北朝鮮の建国

第二次世界大戦末期に日本へ宣戦布告をしたソ連は、朝鮮北東部(咸鏡北道)から日本統治下の朝鮮を徐々に制圧して行き、1945年9月2日の日本の降伏までには、北緯38度線以北の朝鮮(北朝鮮)全域に進駐した。日本がポツダム宣言の受諾を宣言した時点(1945年8月15日)で、朝鮮には朝鮮人による独自の共産党組織があった。しかしソ連は、東ヨーロッパの衛星国に対して採った方針を踏襲し、第二次世界大戦期をソ連で過ごした朝鮮人の共産党員に、好んで権力を与える方針を持っていた。そのため、1946年2月にソ連軍(赤軍)は、ソ連に亡命し、そこで朝鮮人共産党員の指導的役割を担っていた金日成を、北朝鮮の行政機関である北朝鮮臨時人民委員会の委員長に任命した。金日成率いる抗日パルチザン出身の一派(後の満州派)は、朝鮮の共産主義者の中では少数派に過ぎなかった。しかし、帰国直前にモスクワで行われたスターリンとの会談で、ソ連が樹立を考えていた朝鮮の共産党政権の指導者として認定されたと言われている。同年11月3日に総選挙を実施した北朝鮮臨時人民委員会は、1947年2月に立法機関「北朝鮮人民会議」を設置すると共に、北朝鮮臨時人民委員会を行政府「北朝鮮人民委員会」に再編成し、北朝鮮を統治する政府組織を構成していった。金日成は北朝鮮の社会主義化政策を進めると共に、朝鮮共産党北朝鮮分局(後に北朝鮮労働党に改称)を結成し、徐々に反対派を権力の中枢から追放していった。( Wikipedia; 写真は「金日成(キムイルソン)」asflo.com)

◉ 建国後建国当初~1950年代 朝鮮戦争と共産化)

朝鮮民主主義人民共和国は、ソ連の朝鮮占領軍が監督する中で、1948年9月9日に独立を宣言した。建国の翌年の1949年6月30日に北朝鮮労働党と南朝鮮労働党が合併し、朝鮮労働党が成立した。建国当初の朝鮮民主主義人民共和国は、まだ金日成首相への権力集中が果たされておらず、満洲(中国東北部)でパルチザン闘争を行っていたとされる金日成の満州派の他、朝鮮北部甲山郡を根拠地に満州派と共に東北抗日聯軍を構成し普天堡の戦いを共に戦った縁で当初関係良好・準同盟関係だった甲山派(領袖は甲山工作委員会・朝鮮民族解放同盟を結成した朴金喆)、日本統治時代に朝鮮地域内で抵抗運動を続け戦後は南朝鮮労働党を結成していたいわゆる南労党派(領袖は朴憲永)、中国共産党、八路軍に所属し、抗日闘争を共闘していたいわゆる延安派、ソ連に渡りソ連国籍を有しているソ連派などの勢力に分かれていた。(Wikipedia;上図はasahi.com)

「朝鮮戦争」(1950/6/25〜1953/7/27)は、1948年に成立したばかりの朝鮮民族の分断国家である大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の間で生じた、朝鮮半島の主権を巡る国際紛争。現在は停戦中。

3年余にわたり朝鮮半島のほとんど全域を戦場化して戦われた大規模な国際紛争。朝鮮動乱あるいは韓国動乱ともいう。韓国(大韓民国)ではこれを「六・二五動乱」とよび、北朝鮮では「祖国解放戦争」と名づけている。

交戦当事国の一方は北朝鮮およびそれを支援して人民志願軍(義勇軍)を派遣した中華人民共和国、他方は韓国およびそれを支援して国連軍を編成したアメリカ中心の西側16か国。ソ連は朝・中側に武器弾薬その他の支援物資を提供したほか、軍事顧問、パイロット、医療部隊などを派遣した。戦場に投入された兵力は朝・中側が約300万人(朝・中各約150万人)、国連・韓国軍側が約260万~270万人(うち韓国軍約200万人)と推定された。国連軍兵力の90%以上は米軍である。国連軍に実戦部隊を派遣した西側16か国は以下のとおり。アメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、ギリシア、トルコ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、コロンビア、タイ、フィリピン、エチオピアおよび南アフリカ連邦。このほかインド、イタリア、デンマーク、ノルウェーおよびスウェーデンの五か国が医療部隊ないし医療施設を国連軍に提供した。(以上  Wikipedia,及び kotoba.bank)

朝鮮戦争時の日本 日本は、朝鮮出撃の基地となったほか、掃海部隊の派遣、占領軍労働者による兵員物資輸送、各種労働者の韓国派遣、従軍看護婦の召集など、戦争に対する橋頭堡の役割を果たし、多数の日本人が直接戦場に派遣され、少なからぬ犠牲者も出た。ジェームス・アワーの『よみがえる日本海軍』によると、46隻の日本掃海艇、大型試航船および1,200名の旧海軍軍人が元山、群山、仁川、海城、鎮南浦の各掃海に従事し、掃海艇が2隻沈没し、1人が死亡し、8人が負傷した。調達庁が1956年に発行した『占領軍調達史』によると、1951年1月までの間に、特殊港湾荷役者、特殊船員、その他朝鮮海域等において特殊輸送業務に従事した者が、52人死亡し、329人負傷した。児島襄の『朝鮮戦争』によると、仁川上陸作戦に際し、沖仲仕だけで3936人が参加した。1951年9月26日の日赤第56回通常総会での島津忠承社長の演説によると、派遣要請により、九州地方の各支部から第1次54人、第2次25人、第3次17人が交替派遣され、その時期63人が国連軍病院で勤務していた。 その後、2020年までに毎日新聞社が入手したアメリカ国立公文書記録管理局所蔵のアメリカ軍作成の極秘文書で、アメリカ軍が少なくとも60人の日本の民間人男性を帯同させ、うち18人が戦闘に参加しており、その中には当時少年だった者が含まれていたことが判明している

1950年6月25日の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)大韓民国(韓国)侵攻(南進)によって勃発した朝鮮戦争は、当初韓国の李承晩大統領を釜山に追い詰めるまでに優勢だった北朝鮮の朝鮮人民軍をダグラス・マッカーサー率いる国連軍が朝鮮半島北上によって押し戻し、一時期大韓民国国軍は中朝国境の鴨緑江にまで達したが、この国連軍北上に対抗して成立間もない中華人民共和国から中国人民志願軍(抗美援朝義勇軍)が派遣され、戦争は朝鮮半島全土を荒廃させた後、1953年7月27日朝鮮戦争休戦協定によって軍事境界線(38度線)を挟んでの朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国との休戦が実現した。この朝鮮戦争では北朝鮮による武力統一こそ実現しなかったものの、この際に軍事委員会委員長となった金日成首相の権力を強化させ、甲山派・延安派・ソ連派と連携協力して最初の政敵とされた南労党派の打倒へと向かわせた。なお、朝鮮戦争の際の中国の介入により、中朝連合軍が結成された際、中朝連合軍の彭徳懐司令官は金日成首相を差し置いて延安派の朴一禹を中朝連合軍の副司令官に任命している。(右写真は「朝鮮戦争休戦協定調印式」asahi.com)

しかし、1956年のフルシチョフ第一書記によるソ連共産党第20回大会におけるスターリン批判(個人崇拝も批判の対象となった)は、金日成の個人崇拝を進めようとする北朝鮮にも影響を与え、これ以降、朝鮮労働党内の延安派、ソ連派が金日成の批判を強めた。こうした事態に対して金日成は甲山派と共同で、強権的に政敵を逮捕・除名(8月宗派事件)することで乗り切り、1950年代末までにはほぼ当初の政敵派閥を駆逐した(最後に残り、後に対立する甲山派の粛清・駆逐は1967年に行われた)。この間、農業の集団化し、産業の国有化が進められ、1956年より「千里馬運動」が開始された。1950年代末までに社会主義経済体制が構築された。

「千里馬運動」とは、5ヶ年人民経済計画開始直前の1956年12月に北朝鮮の金日成が朝鮮労働党全員会議で提唱した、経済発展を促進し、社会を大躍進させようという運動のこと。 千里馬とは一日に千里を走る伝説上の馬のことで、その千里馬の勢いにあやかろうと命名した。

「千里馬に乗った勢いで走ろう!」ーー党が掲げたスローガンに呼応した労働者階級は社会主義建設のすべての領域でめざましい成果をあげた。党第3回大会(1956年4月)で示された5カ年計画(57~61年)は2年半という短期間で完遂。1960年度は、56年度比で電力工業1.8倍、燃料工業2.8倍、鉱石採掘工業2.6倍、冶金工業3倍、化学工業4.5倍、機械製作工業6.8倍、穀物生産32%増の急成長を遂げた。暮らしが劇的に改善される中、労働者、事務員の生活費は2.1倍に増えた。朝鮮を代表する記念碑である千里馬銅像が万寿台の丘に建設されたのもこの時期だ(61年4月除幕)。


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蔓延防止ドミノ加速 外来逼迫も緊急事態には慎重

新型コロナウイルス感染症対策となる蔓延防止等重点措置は、全国の約7割にあたる34都道府県に拡大することが決まった。感染者数の増加は歯止めがかからず「蔓延防止ドミノ」は加速する。オミクロン株は重症化率が低いとされるが、感染者自体が多いため外来診療は逼迫し、政府は危機感を強めている。ただ、重症者病床には余力があり、緊急事態宣言の発令には慎重だ。

基本的対処方針分科会の尾身茂会長は25日の分科会後、宣言発令について「今の対策でどうしようもなく医療が逼迫し、社会がおかしくなることが予想される時点で、そういうことは当然あり得る」と記者団に語った。一方、松野博一官房長官は記者会見で「宣言の発出は強度の私権制限を伴うもので、慎重な検討が必要だ」と述べた。(1/26 1:26 sankei.com,news.yahoo.co.jp)

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