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外国人が選ぶ日本の代表的建築物とは!(2)

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2月12日(日)曇り(8〜16℃、湿度 92%、風速 2m/s、体感温度 7℃、AQI 25-良い、日の出 6:41、日の入  17:30 、2/12  3:30  現在)

2)姫路城(兵庫県姫路市)

姫路城は、姫路市街の北側にある姫山および鷺山を中心に築かれた平山城で、日本における近世城郭の代表的な遺構である。江戸時代以前に建設された天守が残る現存12天守の一つで、中堀以内のほとんどの城域が特別史跡に、現存建築物の内、大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝に、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に、それぞれ指定されている。1993年(平成5年)12月にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。この他、「国宝五城」や「三名城」「三大平山城・三大連立式平山城」の一つにも数えられている。(上写真は、Google; 「姫路城」トリップノート)

姫路城の始まりは、1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)の赤松貞範による築城とする説が有力で、『姫路城史』や姫路市ではこの説を採っている。一方で赤松氏時代のものは砦や館のような小規模なもので、城郭に相当する規模の構築物としては戦国時代後期に西播磨地域で勢力を持っていた小寺氏の家臣、黒田重隆・職隆父子による築城を最初とする説もある(上右図は、Google; 姫路城を守る会「姫路城内郭内復元鳥瞰図」)

戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、黒田氏や羽柴氏が城代になると、山陽道上の交通の要衝・姫路に置かれた姫路城は本格的な城郭に拡張され、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張された。

2)松本城(長野県松本市)

松本城は、長野県松本市にある日本の城である。松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といった。(写真は、Wikipedia)

天守は安土桃山時代末期-江戸時代初期に建造された現存天守の一つとして国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されている。天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城、犬山城、彦根城、松江城)。

5重6階の天守を中心にし、大天守北面に乾小天守を渡櫓で連結し、東面に辰巳附櫓・月見櫓を複合した複合連結式天守である。大天守は、初重に袴形の石落としを付け、窓は突上窓、破風は2重目南北面と3重目東西面に千鳥破風、3重目南北面に向唐破風の出窓を付けている。辰巳附櫓・月見櫓は、第3代将軍徳川家光が長野の善光寺に参拝する途中で、松本に立ち寄るという内意を受けたため、当時の藩主松平直政が建てた。赤い欄干を配して、風雅な雰囲気を持つ。家光の善光寺参拝は中止になったが、天守に付属する月見櫓としては唯一の遺構となった。

3)厳島神社(広島県広島市)

「厳島神社」は、広島県広島湾に浮かぶ厳島(宮島)の北東部、弥山(標高535m)北麓に鎮座する。厳島は一般に「安芸の宮島」とも呼ばれ日本三景の1つに数えられている。平家からの信仰で有名で、平清盛により現在の海上に立つ大規模な社殿が整えられた。社殿は現在、本殿・拝殿・回廊など6棟が国宝に、14棟が重要文化財に指定されている。そのほか、平家の納めた平家納経を始めとした国宝・重要文化財の工芸品を多数納めている。(上写真は、Google; 世界の歴史まっぷより)

厳島神社の平舞台(国宝:附指定)は日本三舞台の1つに数えられるほか、海上に立つ高さ16mの大鳥居(重要文化財)は日本三大鳥居の1つである。また、夏に行われる例祭は「管絃祭」として知られる。(右写真は、Google; ニッポンの旅マガジンより)

歴史 社伝では、推古天皇元年(593年)、当地方の有力豪族・佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を得て御笠浜に市杵島姫命を祀る社殿を創建したことが始まりとされる。「イツクシマ」という社名も「イチキシマ」が転じたものとする説がある。 厳島神社の鎮座する厳島(宮島)は「神に斎く(いつく = 仕える)島」という語源のように、古代から島そのものが神として信仰されたと考えられている。厳島中央の弥山(標高535m)山頂には巨石が連なっており、山岳信仰の対象であったとされる。

(以上  Wikipedia より抜粋)


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100時間経過後も救出者多数 トルコ地震で各国救助隊が成果

トルコ南部を震源とするトルコ・シリア地震の被災地では、6日の地震発生から100時間以上が経過した今も、がれきの中から生存者が多数救出されている。トルコと各国の救助隊が協力し、成果を上げているようだ。

震源地に近いトルコ南部カフラマンマラシュ。中心部の高層住宅は跡形もなく崩壊し、がれきの中にはいまだ、数千人が取り残されているとみられる。  10日午後8時過ぎ。市中心部の現場から15歳、12歳の少年と母親が救出されると、集まった市民から大きな拍手がわき起こった。救助隊は重機でがれきを掘り進めた後、中から3人の声を聞いた。その後、手作業で約3時間、がれきを掘り進めたという。3人は偶然、がれきの隙間(すきま)に挟まっていた。

救助に携わったトルコ北東部エルズルム市の消防士、ルトゥフュ・コチャルさんは「悲しいことが多いけれど、今回の成功で人の笑顔を見られてうれしい。頑張れば、もっと救出できる」と話した。トルコメディアによると、生存率が下がる地震発生後72時間以降、100人以上が救出されたという。

各国から入った部隊も、救出に深く関わる。アナトリア通信によると、トルコには9日時点で、約60カ国から約4500人の救助、支援部隊が入った。なかでも最大規模の450人を派遣したイスラエル軍の部隊は7日以降、カフラマンマラシュで19人を救出した。9~10日には約40時間かけて、住宅から9歳の少年を含む家族3人を救出することに成功した。(2/12  0:08  毎日新聞、new.yahoo.co.jp)

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