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7)日光東照宮(栃木県日光市)
「日光東照宮」は、栃木県日光市に所在する神社。江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現を主祭神として祀る。日本全国の東照宮(約560カ所)の総本社的存在である。また「久能山東照宮」「上野東照宮」と共に三大東照宮の一つに数えられる。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために「日光東照宮」とも呼ばれ、東照宮の公式サイトにも「日光東照宮」と書かれている。(上写真は、Google;「日光東照宮」楽天トラベル 楽天市場)
隣接する仏教寺院の輪王寺は、勝道による日光山開山を奈良時代の天平神護2年(766年)とする。その後、関東地方の霊場として尊崇を集め、鎌倉幕府創始者の源頼朝からも寄進を受けた。頼朝は、母方の熱田大宮司家の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて、東国の宗教的権威となっていた。こうした歴史を背景に、徳川氏は東照宮を造営したと考えられる。(右上写真は、Google;「輪王寺」wikipedia)
江戸時代の元和2年4月17日(1616年6月1日)、徳川家康は駿府(現在の静岡市)で死去した。遺命によって遺骸は直ちに駿河国の久能山に葬られ、同年中に久能山東照宮の完成を見たが、翌・元和3年(1617年)に二代将軍秀忠が天海僧正に命じ下野国日光に改葬されることとなった。
日光では同年4月(4月)に社殿が完成し(作事奉行は藤堂高虎が務めた)、朝廷から東照大権現の神号と正一位の位階の追贈を受け、4月8日(5月12日)に奥院廟塔に改葬され、家康死去の一周忌にあたる4月17日に遷座祭が行われた。なお、改葬の際、吉田神道と山王神道のどちらで祀るかで論争となり、天海が主張した山王一実神道が採用され、薬師如来を本地仏とする神仏習合によって祀られることになった。(上右写真は、「本殿」Google;群青色)
家康が日光に祀られることになったのは、家康本人の遺言からである。金地院崇伝の日記である『本光国師日記』には「遺体は久能山に納め、(中略)一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること。そして、八州の鎮守となろう」と残されている。家康が目指した「八州の鎮守」とは、日本全土の平和の守り神でもある。家康は、不動の北辰(北極星)の位置から徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとしたと伝えられている。表参道を延長していくと寛永寺の旧本堂(根本中堂)につながる。
神厩舎には猿の彫刻を施した8枚の浮彫画面があり、猿が馬を守る動物であるという伝承から用いられている。この8枚で猿の一生が描かれており、ひいては人間の平和な一生の過ごし方を説いたものとなっている。日光の木彫像の中で眠り猫に続いてよく知られている、「見ざる、言わざる、聞かざる」で有名な三猿は、この神厩舎に造られたものの1枚に過ぎない。なお、「見ざる、言わざる、聞かざる」は「幼少期には悪事を見ない、言わない、聞かない方がいい」という教えであり、転じて「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かない方がいい」という教えにもなる。(上右写真は、Google;「見ざる、言わざる、聞かざる」旅工房)
8)東大寺(奈良県奈良市)
「東大寺」は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗の大本山の寺院。国宝。山号はなし。本尊は奈良大仏として知られる盧舎那仏。開山(初代別当)は良弁である。 正式には金光明四天王護国之寺ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。現別当(住職・224世)は橋村公英。(上写真は、Google; 「本殿(金堂)」東大寺)
「大仏殿(金堂)」は、国宝。寄棟造、本瓦葺き。2階建てに見えるが、構造的には一重裳階(もこし)付きで、正面5間、側面5間の身舎(もや)の周囲に1間の裳階を回している。間口57メートル、奥行50.5メートル、高さ46.8メートルで、奥行と高さは創建時とほぼ変わりないが、間口は約3分の2に縮小されている。建築様式は、鎌倉時代に宋の建築様式を取り入れて成立した大仏様(だいぶつよう)が基本になっており、水平方向に貫(ぬき)を多用するのが特色である。豊臣秀吉・豊臣秀頼父子による、初代・2代目方広寺大仏殿の相次ぐ造営によって、日本各地の柱材に適した巨木を伐採しつくしたことにより、この頃にはすでに巨材の調達が困難であったため、柱は芯材の周囲に桶状に別材を巻きつけた集成材が用いられている。なお、しばしば「世界最大の木造建築物」として言及されるが、20世紀以降に近代的工法で建てられた木造建築には、大仏殿を上回る規模のものが存在する(ティラムーク航空博物館、メトロポール・パラソルなど)。(上右写真は、Google;「大仏」東大寺)
大仏の左右には脇侍として木造の如意輪観音坐像と虚空蔵菩薩坐像を安置。堂内北西と北東の隅には四天王のうちの広目天像と多聞天像を安置する。いずれも江戸時代復興期の像である。四天王のうち残りの2体(持国天、増長天)は未完成に終わり、両像の頭部のみが大仏殿内に置かれている。堂内には他に、大仏前に高さ207㎝の銅製大華瓶が付いている8本脚の揚羽蝶で有名で、元禄5年開眼供養会に池坊門弟の猪飼三枝と藤掛似水の両一門より、約9mの立花二口が奉納されたが、会後、藤掛似水から華瓶に銅蓮が付けられ仏花として寄贈された。この8本脚の揚羽蝶は多く話題になるが、東大寺では「寺で作ったものではなく、寄贈品で意味は分からない」と答えている。また、1909年(明治42年)の日英博覧会用に製作された、東大寺旧伽藍の模型がある。(上右写真は、Google;「如意輪観音坐像と虚空蔵菩薩坐像」せんねん灸)
「南大門」国宝。平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの。東大寺中興の祖である俊乗房重源が中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様ともいう)を採用した建築として著名である。大仏様の特色は、貫と呼ばれる、柱を貫通する水平材を多用して構造を堅固にしていること、天井を張らずに構造材をそのまま見せて装飾としていることなどが挙げられる。門内左右には金剛力士(仁王)像と石造獅子1対(重要文化財)を安置する。上層の正面中央には「大華厳寺」と書かれた扁額が掲げられている。これは古い記録にそのような扁額があったと書かれていたことに基づき、2006年(平成18年)10月10日に行われた「重源上人八百年御遠忌法要」に合わせて新調されたものである。(右上写真は、Google;「南大門」東大寺)
「東大寺」は1998年(平成10年)12月に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。
(以上 Wikipedia より抜粋)
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米政府高官『アメリカは中国上空で気球を飛ばしていない』と主張
アメリカ政府高官が、中国上空でアメリカが気球を飛ばしているという中国側の主張を否定しました。
ロイター通信によりますと、アメリカ・国家安全保障会議のカービー戦略広報調整官は13日、アメリカメディアの取材に応じ、「中国上空でアメリカが気球を飛ばしている」との中国側の主張に対し、「そんなことはしていない。全く事実ではない」「私たちは、中国上空で気球を飛ばしていない」と話し、否定しました。
中国外務省は13日の会見で、「アメリカの気球が去年の1月1日以来10数回、中国の領空に侵入していた」などと発表していました。(2/14 0:00 テレ朝NEWS, news.yahoo.co.jp)