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9月8日(水) 天気は秋雨前線の影響で曇天、小生の心も曇天?

9月5日(日)のブログは掲載する予定したが、気になって急に取りやめました!ブログの内容は「東京2020パラリンピック」競技および閉会式内容でしたがーーー(右写真はnews .yahoo.jp)

小生はあの悲惨だった太平洋戦争が終わった1945年生まれの76才、後期高齢者です。しかしながら 否だからと言うべきか戦後の新しい教育制度の中で育った人間です。

「パラリンピック」とは、国際パラリンピック委員会が主催する、身体障害者を対象とした世界最高峰の障害者スポーツの総合競技大会。オリンピックと同じ年に同じ場所で開催される。2004年のアテネ大会から夏季オリンピックと共同の開催組織委員会が運営する。(wikipedia)

「東京2020パラリンピック」は考えもんです!

何ですか?あのNHKを始めとした民放のTVやマスコミの取り上げ方はーーー?

我が家(年寄り2人だけ)では、全く観ませんでした。

「学校連携観戦プログラム」って何だい! 東京パラリンピックの会場で子どもたちに競技を見てもらう都の方針に対し、都の教育委員から新型コロナウイルスの感染の急拡大を理由に反対の意見(5人中4人が反対)が出たことについて、小池知事は「より安心・安全な形でできるように準備を進めていく」と述べ、予定どおり実施する考えを強調しました。  東京都教育委員会は、パラリンピックの「学校連携観戦」に参加する子どもや教員が希望すれば事前にPCR検査を受けてもらっていますが、検査の結果は「学校が特定されるおそれがある」などとして明らかにしていません。子どもたちが競技を見ることは教育的な意義があるとする一方、安心安全に実施できているかどうかは説明しない立場です。 「学校連携観戦プログラム」とは、自治体や学校単位でチケットを購入してもらい、 次世代を担う若者に、より多く会場にきてもらうことを目的とした事業(政府スポーツ省)(以上 nhk.or.jp )

パラリンピックは既に原則無観客開催が決まっている。それなのに、子ども達の観戦は行う、というのはどう考えても整合性が取れていない!

当時の行政・パラリンピック責任者は、全部 辞めてもらいたいです!

小生 幼き頃の思い出として「見せ物小屋」の記憶がありました。

以下は 「見せ物小屋」を wikipedia で検索した内容です。

「見世物小屋」は、珍奇さや禍々しさ、猥雑さを売りにして、日常では見られない品や芸、獣や人間を見せる小屋掛けの興行である。 時代が下るにつれ、主に奇異な外見に重きを置いている点でサーカスと区別されており、海外では「フリークショー」の名称が用いられている。

日本の見世物の歴史は『散楽』といわれるものでバラエティに富む内容だった。そこから猿楽(能)が独立した存在となり、歌舞伎も江戸初期に別種の存在となると、これらの芸能からは見世物的毒気が抜けていった。江戸時代の頃には、今で言うところのサーカスや美術館、動物園、パフォーマーなどの要素を含んでいた。

さらに各演目が独立してゆき、また文明開化により撃剣、パノラマ、迷路、蝋管レコード屋、電気仕掛け→初期の映画などの新たな要素を取り込みながら、明治時代以後に今の形態の見世物小屋に近づいていく。昭和30年頃までは、寺社のお祭や縁日に小規模な露店と共に、見世物小屋も盛んに興行されていた。

「(略)〜お代は見てからで結構だよ。さあさあさあさあ入って入って、間もなく始まるよ〜」といった、業界内で「タンカ」と呼ばれる呼び込み口上があり、一種の風物詩として、見世物小屋が盛んだった時代を描くドラマなどにも登場する。 見世物小屋は香具師の1ジャンル「タカモノ」でもあり、同様に「藪」と呼ばれるお化け屋敷の興行もタカモノ打ちのバリエーションとして打たれた。

現在では、興行場所を確保しづらい、風俗の変化により世間が許容しない等の理由で、大きく衰退している。2000年代には入方勇が大寅興行社から独立し新たに入方興行社を立ち上げたが、興行主が亡くなったことにより廃業。このジャンルを興行するものは現状で大寅興行社の1社のみとなり、もはや風前の灯とも言われる。近年では劇団のゴキブリコンビナートやデリシャスウィートスなどとコラボレーションして興行している。

実物を見る機会は大幅に減り、希少な物となったが、興味の対象として人目に晒されることは「見せ物にする」と表現され、その精神性は未だに通じる物となっている

先述の通り、奇異な外見を観客が好む傾向にある為、一目見てその特徴が把握できるものが主演を担うことが多いとされる。一般的な知性・運動能力は備えていたため、 数多くの身体的特徴を有する演者の代表として公演の中心に存在していた。

また、その特徴は生者だけにとどまらず死者も対象になっているケースもあり、先述のフリークショー興行主のバーナムを例に挙げると死産した結合双生児の標本の収集・展示を行っている。

中国では、戸の節穴から性交を見せる見世物や、人間の皮膚を剥いで動物の毛皮を植え付けた熊男、嬰児の頃に箱に入れて十数年育てた小男の背に作り物の羽根をつけた蝙蝠の見世物(蝙蝠は蝠の字が福の当て字で縁起がいいとされ非常に流行った)などがあったが、1920年代後半にグロテスクな見世物は禁制となった

日本では、奇形の子供や性行為を覗き穴で見せるなど、文字通り何でも見世物にした。倉田喜弘によると、横浜で『ジャパン・ヘラルド』の主筆を務めたブラック(快楽亭ブラックの父)が1872年(明治5年)に皇居近くの神田橋周辺にあったむしろがけの小屋で「ウサギの死体を食いちぎる子供」なる見世物を見たことをきっかけとして、同年11月8日に東京府が「違式詿違条例」(今の軽犯罪法にあたる)を布達した。内容は主に、男女相撲の禁止、蛇遣いなど醜態を見世物にすることの禁止、夜12時以降の歌舞音曲禁止、路上における高声の歌の禁止などである。また翌1873年(明治6年)2月には、よしず張りや床店の大きさを定めた

また、東京では1891年(明治24年)10月3日の警察令第一五号「観物場取締規則」により、興行場所を浅草公園六区(浅草奥山のすぐ隣りの地区)の一箇所にまとめられた。地方では巡業形態が続いた。時には、誘拐された子供が人身売買で、足の筋を切られた被虐的な道化役や、見世物として覗き穴の娼婦にするために売り飛ばされてきた例もあったという。社会福祉が発達していなかった頃には、身体障害者が金銭を得る為の仕事であり生活手段の一つでもあった(中村久子など)。

しかし1947年(昭和22年)に『児童福祉法』が公布され、曲芸に重きを置くサーカスと同様に見世物小屋でも「公衆の娯楽を目的とした業務」に満15才未満の児童を使用する事が禁止された。1960年(昭和35年)には『障害者の雇用の促進等に関する法律』が施行され、検査に応じない・公の認可のない見世物小屋に対しての罰則・摘発が可能となり、更に1970年(昭和45年)施行の『障害者基本法』によって障害者に対し個人の尊厳の尊重と生活を保障される権利について明確に規定された結果、昭和50年代以後には、前述の法令に基づいた「不適当な環境」を理由とした未認可状態で身体障害者を舞台に出演させて見世物とする事などに対して取締りが行なわれるようになった。(以上wikipedia)

オリ・パラに使われる費用、福祉にあてると

「パラリンピック」の問題点の幾つかを次回に取り上げます!

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