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「イスラエル」の建国(1948年)から続いていた、イスラエルとパレスチナの紛争「第一次中東戦争(1948年)〜第四次中東戦争(1973年)」。これを終わらせるために、アメリカとノルウェーの仲介によって、ノルウェーの首都オスロで結ばれたのが「オスロ合意(1993年)」。イスラエル軍は「ガザ」と「ヨルダン川西岸」の両地区から撤退し、パレスチナ側は自治を行うことなどが定められた。これ以降、パレスチナ自治区ではパレスチナ人による自治が行わている。
「パレスチナ国」は、地中海東部のパレスチナに位置する共和制国家。国際連合には未加盟であるが、2021年時点で138の国連加盟国が国家として承認している。領土は「ヨルダン川西岸地区」および「ガザ地区」から成り、東エルサレムを首都として定めている。
オスロ合意後、パレスチナ自治区のトップとしてまとめていったのが「アラファト議長」。しかし、2004年にアラファト議長が亡くなると、後継のアッバス議長には過激派をおさえるような力がなく、イスラム組織「ハマス」が台頭するようになる。(以上 Wikipedia)
◉ 「ガザ地区」とは
アラブ人入植地(パレスチナ人自治区「ガザ地区」は、パレスチナ国の行政区画である。名称は中心都市であるガザに由来し、パレスチナ領域の一部を占めている。 現在は「ハマス」が実効支配している。
地中海東岸に沿った長さ約50キロメートル、幅5~8キロメートルの細長い地域に220万人以上が暮らしている。南西はエジプト領シナイ半島と接し、分離壁が設けられている。
「ガザ地区」は、種子島と同じぐらいの広さで、中心地のガザが東京駅の位置だとすると、北は足立区の北千住から、南は神奈川県横浜市までを斜めに囲むほどの大きさとなる。(Wikipedia; 下図参照)
ガザ地区の人口は約220万人。約150万人が難民で、さらにそのうちの約70万人が、ガザ地区にある8つの難民キャンプ(地図中の赤いスポットアイコンの位置)に住んでいる。
ガザ地区の難民キャンプの人口密度は、世界で最も高いと言われており、ガザ市中心部にある「ビーチ」という難民キャンプでは、0.52平方キロメートルの場所に9万人が住んでいる状態だ。これは、東京で最も人口密度が高い豊島区の8倍にあたる。
(上写真は、Google; ガザの難民キャンプ「ビーチ」2009/5/29 DYKTさん撮影)
以上 Google;Wikipedia;huffingtonpost.jp
「ガザ地区」の現状(10/16)
イスラエル軍とハマスの衝突は15日も続き、ガザ地区の保健当局によりますとこれまでに2670人が死亡した一方、イスラエル側では少なくとも1400人が死亡し、双方の死者は4000人を超えています。
パレスチナ難民を支援するUNRWA=国連パレスチナ難民救済事業機関は、15日、ガザ地区ではこの1週間で少なくとも100万人が自宅を追われて避難を余儀なくされたと発表しました。(Google;NHKニュース)
◉ アラブ人入植地「ヨルダン川西岸地区」とは
「ヨルダン川西岸地区」は、パレスチナ国の行政区画である。名称は同地区がヨルダン川西部の地域であることに由来し、パレスチナ領域の一部を占めている。 ヨルダンとイスラエルの間に存在し、欧米などでは単に「ウェストバンク」と表現される事が多い。
地区の面積は5,660km2だが、統治者によって3つの区分に分けられる(詳細後述)。総人口は約380万人(2020年時点)であり、内訳はパレスチナ人が約309万人(81.2%)、ユダヤ人入植者が約71万人(18.8%)となっている。
パレスチナ人による自治政府の管轄下はヨルダン川西岸地区の約4割ほどであり、そのうちパレスチナ政府が完全に支配下に置いているのは2割にも満たない(2000年)。その管轄区もイスラエルの実効支配地域および分離壁によって分断されており、多くが地区西部に点在する形となっている。(Wikipedia)
2010年現在、ヨルダン川西岸地区は統治者によって、3分されている。
下右図で、赤 - パレスチナ政府管轄(A地区およびB地区) 黄色 - イスラエル政府の統治下(本土およびC地区)
- A地区…パレスチナ政府が行政権、警察権共に実権を握る地区。2000年時点で面積の17.2%
- B地区…パレスチナ政府が行政権、イスラエル軍が警察権の実権を握る地区(警察権は、パレスチナ政府と共同の地区も含む)。2000年時点で面積の23.8%
- C地区…イスラエル軍が行政権、軍事権共に実権を握る地区。2000年時点で面積の59%。2018年現在で面積の「60%以上」
現在でもヨルダン川西岸地区の主な統治者はイスラエルであり、パレスチナ人住民はイスラエル国防軍軍律によって統制されている(ユダヤ人入植者は、原則としてイスラエル国内法が適用される)。また、C地区はA地区、B地区を包囲し、さらに細かく分断するように配置されている。さらに、C地区でのパレスチナ人の日常生活は大幅に制限されており、家屋・学校などの建築、井戸掘り、道路敷設など全てイスラエル軍の許可が必要となる。特に住居建設の許可が下りる事はほとんどなく、イスラエル軍は違法建設の住居を撤去し、罰金を課する。
2018年5月9日、イスラエル国防軍は「ユダヤ・サマリア」に命令1797を布告した。これは、イスラエル軍が「違法」となった新築建造物(未完成または竣工6ヶ月以内または居住30日以内の建造物)を、司法手続きを省略して、96時間以内に異議申立が無ければ撤去できる内容である。命令自体は、ユダヤ人入植者も対象となる。OCHA(国際連合人道問題調整事務所)によると、イスラエル軍によるパレスチナ人所有の建造物の撤去は、2017年は月平均35件、2018年は月平均38件であったが、2019年は52件と増加した。2020年は、新型コロナウイルス感染症 (2019年)流行初期の1-2月は、月平均45件に減少したが、3-8月は月平均65件と、2017年からの4年間で最も多くなった。OCHAは、命令1797によって建造物の迅速な撤去が可能になり、所有者が異議申立の手続きを取れなくなっていることを懸念している。
上右写真は、Google; 「中心都市ラマッラー(2012年)」
「ラマッラー」は、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区中部に位置する都市である。エルサレムの北10kmに位置する。パレスチナ国の事実上の首都でもある。人口は42,100人。ウィキペディア
◉ イスラエル
「イスラエル」は地中海に面する中東の国で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地とされています。特に有名な聖地はエルサレムで、その旧市街にある神殿の丘の城壁や遺跡群には、岩のドーム、長い歴史を持つ嘆きの壁、アルアクサー モスク、聖墳墓教会などがあります。イスラエルの金融の中心地であるテルアビブは、バウハウス建築やビーチで知られています。
ヨルダン川西岸地区の6割(2000年時点)はイスラエルの統治下にある。また、他のパレスチナ政府管轄下(AおよびB地区)についてもイスラエルは網の目のように包囲しており、与える影響は大きい。
C地区とは別に「ユダヤ人入植地」と呼ばれるものが存在する。これは、マアレ・アドゥンミームを始めとするユダヤ人による入植地(イスラエル(国籍の)人の移住地)であり、そのほとんどはC地区に点在している。入植地は政府主導の大規模なものもあれば、入植者が勝手に作った「アウトポスト」もある(イスラエル政府は一部例外を除いて事実上容認)。入植者には2020年時点で71万人ほどのユダヤ人が住んでいるとされる。そして、その入植地およびヨルダン川西岸地区を取り囲むように建設されたのが「分離壁」である。イスラエル政府の名目上の説明は「自爆テロの防止」であるが、分離壁の一部は1949年停戦ライン(通称グリーンライン。ヨルダン川西岸地区とイスラエルの境界線)を超えて西岸地区内に入り込んでおり、入植地の事実上の領土化やパレスチナ人の生活を分断している。イスラエルは、のべ710キロの分離壁の建設を進めており、2020年6月現在、約64%が完成した。
イスラエルは、1967年の第三次中東戦争でヨルダン川西岸地区を占領し、130以上の入植地を建設した。その多くは、集合住宅、ショッピングモール、工業地帯を備えた、小さな町のようなものである。パレスチナ人は、ヨルダン川西岸地区を将来の国家の主要な部分とすることを望んでいる。多くの国々は、これらの入植地を国際法違反とみなしている。
イスラエルはヨルダン川西岸地区を聖書に登場する「ユダヤ・サマリア地区」と呼び、ユダヤ人の心の故郷とみなしている。ナフタリ・ベネット元首相は入植地の拡大を支持し、パレスチナの国家化に反対している。
上写真は、Google; 「丘の上に整然と立ち並ぶイスラエルの入植地がパレスチナの村(手前)をとり囲む」
生活圏を分断する巨大な隔離壁
右写真は、2002年以降「イスラエル側の安全を確保する」という理由でヨルダン川西岸には巨大な隔離壁が建設されました。 隔離壁は西岸とイスラエルの境界である「1949年の停戦ライン」を超えてイスラエル人専用の道路や入植地とつながり、 パレスチナ自治区を飛び地状態にしています。その結果、村が壁によって隔てられたり、学校や職場、病院、 自分の畑などに行くための道路が閉ざされて検問所で足止めされるというような事態が起きています。
国際司法裁判所は、この隔離壁がパレスチナの自治を阻害し、生活圏を分断するものであり国際法違反と裁定を下しましたが、壁の建設は続行されました。(Google; ccp-ngo.jp)
勿論 この生活圏を分断する巨大な隔離壁は「ガザ地区」にもあり「天井のない監獄」と言われています。
(上図は、Google;「現在のパレスチナ内ヨルダン川西岸の勢力範囲で、緑の線が1967年前までの休戦ライン。灰色の線はエルサレム市の境界。オレンジがパレスチナ自治政府の管理下にある地域。緑はイスラエル軍と政府の管理下にある地域。濃い緑は入植地」BBC)
一つの土地と水資源をめぐる、二つの民族
パレスチナ問題を宗教問題と考える人々もいますが、現実的には一つの土地、水資源をめぐる二つの民族の対立です。
イスラエル社会には、ヨルダン川西岸のできるだけ多くの土地を併合したいと考える人々も多く、 西岸の戦略的な高地には多くの「イスラエルの入植地」が作られ、すでに15万人が住んでいます。 またヨルダン渓谷の肥沃な土地には、広大な農業入植地も作られています。
また水資源の乏しいこの地域では、水源をめぐる対立も深刻です。 入植者は隣にあるパレスチナの村の住民の8~10倍の水を使っていると言われ、 一方、パレスチナ人の町や村はしばしば断水があって、週に1日しか水が使えない地域もあります。
聖地エルサレム
この地域の中心都市であるエルサレムは古代から神聖な場所として、多くの民族がその支配を争いました。 ユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒にとっても聖地であるため、 国連は1947年の「パレスチナ分割会議」でもエルサレムを「国際管理都市」としましたが、 実際には、1948~67年まではヨルダン、1967年以降はイスラエルに占領され、イスラエルは1971年にエルサレムを併合しました。 エルサレムの東側と旧市街には多くのパレスチナ人が住んでいて、「エルサレムは誰のものか」という、 世界中の人々にも関わる大問題があります。(Google; ccp-ngo.jp)