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「ふと思うこと!」「日本建築」って知ってるかい?(1)

投稿日:

2月9日(木)快晴(1〜11℃、湿度 60%、風速 4m/s、体感温度 -2℃、AQI 54-中程度、2/9 5:00 現在)

先日 三重県津市方面にドライブがてら田舎の温泉旅行に行き、帰りにふと寄ったお寺がありました。ビックリするほどの立派な古い木造建築物で、広大な敷地に二棟が威厳を持って立っていたのです。

それは、1658年 津藩二代藩主「藤堂高次」より貰い受けた3万坪に建つ「真宗高田派本山専修寺」でした。

喜寿を迎えた男4人は、1月31日に左の専修寺本寺「如来堂」より内部を観覧、渡り廊下で右隣の「御影堂」内部をじっくり拝観させていただきました。

鎌倉時代、親鸞聖人が自ら高田(現栃木県)に建立した、専修寺。やがて専修寺は「本寺」と呼ばれ全国的に崇敬を集めるようになります。東海、北陸方面に教化を拡げると共に、朝廷の尊崇を得て専修寺は皇室の御祈願所ともなりました。しかし戦国時代、兵火にあって炎上。専修寺は伊勢(現三重県津市)にある一身田に移り、「本山」として定着しました。それが真宗高田派の本山、専修寺です。宗祖親鸞聖人の教えをまっすぐに受け継ぐ寺院で、現在は通称「高田本山」と地元では親しみを込めて呼ばれています。境内には数多くの伽藍が建ちならび、御廟では親鸞聖人のご遺骨をお守りしています。その中でも一番大きく重要文化財でもある「御影堂」は2007年12月20日に平成大修理が完了。さらに2008年1月8日、ご本尊「親鸞聖人の御木像」を如来堂から御影堂へお移しさせていただく法会が盛大に執り行われました。国宝「西方指南抄」などの法宝物も所蔵して現代に伝えています。また、真宗最大の法会「報恩講」は毎年1月9日〜16日まで執り行われ、全国から高田門徒が集います。(Google; takadaha-kanto.com)

下写真が「如来堂(国宝)」- 専修寺の本堂。延享5年(1748年)7月18日上棟。禅宗様式の外観が特徴で、この様式では国内最大規模である。屋根の妻には左甚五郎作と伝えられる鶴の彫物が取り付けられている。

「御影堂」の西に配置された南向きのお堂は、「証拠の如来」と呼ばれている阿弥陀如来立像を本尊としています。

建築面積は御影堂に比べるとおよそ半分程ですが、阿弥陀如来の仏殿にふさわしい華麗な建築となっております。屋根を二層として、棟の高さを御影堂とほぼ等しくしているのも、本堂としての威容を示すためだと伺えます。このため外観は二階建てであるかのように見えますが、二階があるわけではなく、下層の屋根は裳階と呼ばれる三種の庇となっております。上層の屋根の軒の組み方を見ると、垂木は二股で、それが扇形になっていて、それを四手先という複雑な組み物で受けています。これらの軒組みは、柱と柱の間にも置かれている、いわゆる″詰組″で、完全に禅宗様(唐様)という建築手法によって建立されていることがわかります。また尾垂木という部材の先端を象・龍・獏の彫刻としたり、下層のかえる蟇股には中国の故事に基づいた人物の彫刻が組み入れたりしていて、実に手の込んだ精巧な建築物となっております。

下写真が「御影堂(国宝)」  - 延宝7年(1679年)上棟。間口42.73m、奥行33.50mの大型の堂宇。畳780枚が敷かれており、全国の国宝木造建築の中で5番目の大きさである。

(以上 Wikipediaより、写真は,Google; takadaha-kanto.com)

それで、冬場の「オーガニック野菜畑」は冬眠状態の為、暫く掲載内容を「日本建築」関連にさせていただきます。

日本建築とは?

日本建築は、伝統的には中国建築の一支流として位置づけられていて、その主流が木造建築を占める。柱や梁など直線的な材料で組み立てた構造となるが、木材の露出部を彩色する中国建築に対して、日本建築は白木のままを基本とするなど、中国とは異なる特質をしている。

一方、西欧諸国などの外国の建築は、レンガ造や石造のものが多く、壁を主体とする面的な構成をとるのに対して、日本建築は線的な構成となる。入口や窓などの開口部を例にとれば、西洋諸国では湾曲するアーチでせり上げるのが通例に対して、日本建築では、その上部に楣と呼ぶ水平材を置いている。いわば、西欧諸国の建築は「積み上げ式」であり、日本建築は「組み立て式」である。

また、日本は古くから建築用木材に恵まれていたが、巨材を挽く鋸がなく、製材上の工具に難があったため、専ら木目に楔を打ち込んで裂き割る方法がとられた。そのため、平滑に裂けやすく耐用年数も長い「ヒノキ」が多用された。室町時代中期に大鋸が用いられるようになり、各種木材の製材が容易になったため、中世以降では「マツ」、近世以降では「スギ」が住宅の用材として利用されている。(Google;seiyo.org、写真は、Google;【宇和町 H院】中央綜合建設施工)

次回から日本建築の歴史を掲載します!


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トルコ地震、氷点下で「発生72時間」…倒壊マンションに妻子の男性「もう絶望している」

【カフラマンマラシュ(トルコ南部)=田尾茂樹】トルコ南部で6日に起きたマグニチュード(M)7.8の地震は、9日未明(日本時間9日朝)で生存率が急低下する「発生から72時間」を迎え、懸命の捜索活動が続いている。現場は氷点下の厳しい寒さで、倒壊した建物で道が通れない場所もあり、捜索は難航している。

震源に近い南部カフラマンマラシュの大通り沿いでは、多数の建物が折り重なるように倒壊していた。

「だれかいるか。聞こえるか」。8日昼過ぎ、がれきの隙間に向かって救助隊員が叫んだ。全壊した4階建ての建物内には、まだ男女2人と男児1人が残されているという。重機でがれきを取り除いては時折、笛の合図で一斉に作業を止め、隊員らが音響探査装置などを使いながら、内部で音がしないか確認した。行方不明者の家族とみられる男性は「もっと静かにしてくれ。中の音が聞こえない」と悲痛な叫び声を上げていた.

南部ガジアンテップから現場に駆けつけた会社員イブラヒム・イゼリさん(44)は、叔母(49)が建物内にいるという。「今朝は叔母の夫が無事救出された。叔母の声もまだ聞こえていた」と作業を見守りながら期待を込めた。

この日の朝には倒壊した近くの別の建物からも、約50時間ぶりに2歳の女児が救助された。隊員の一人は「時間がたつにつれ、どんどん状況は厳しくなるが、決してあきらめない」と話した。

一方、妻と16~21歳の子ども3人が、自宅のある8階建てマンションの倒壊に巻き込まれた技師オクタイ・アズカラさん(51)は「もう絶望している。救助隊も来てくれない」と目に涙を浮かべた。

自身は海外出張で留守にしていた。地震翌日の7日に帰ったが、内部から音などが確認できないため捜索は行われなかった。アズカラさんは「4か月前に家を出た時は、こんなことになるとは思いもしなかった。ついこの間、電話で話したばかりなのに」と肩を落とした。

トルコ、シリアを合わせた死者は8日、1万1000人を超えた。死者数が1万人を超える地震は、2011年の東日本大震災以来となる。トルコでは6400軒以上の建物が倒壊した。(2/9 3:09 読売新聞、news.yahoo.co.jp)

 

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