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12月下旬 ふと思う事「ロシアのウクライナ侵攻!」(2)

更新日:

12月22日(木) 雨(2〜13℃、湿度 99%、風速 3m/s 、体感温度 5℃、AQI 56-中程度、12/22 4:20 現在) 雨は昼頃までで、午後からは晴れるでしょう!

昨日は、今年最後の「伊勢湾釣り」に早朝から出かけた為「ブログ」が書けませんでした!申し訳ありません!

「オーガニック野菜畑」も冬場になり話題が少なくなったので、最近の世界情勢を掲載します。 12月17日のブログ「ロシアのウクライナ侵攻(1)」は、NHKニュースからの掲載でしたが、今回は、Google;「Wikipedia」より抜粋掲載です!

ロシアがウクライナに侵攻して2年目になり、現在も戦争状態が続いていますーー!日本人も事実を知るべきです。そして考えましょうーーーー!

ウクライナとロシアの歴史

 

ウクライナとロシアの関係は、中世に遡る。9世紀にはウクライナの地を中心としたキエフ大公国(ルーシ)という国家が存在した。12世紀にその国家の北東部は分離し、モンゴル帝国のルーシ侵攻後にロシアの原型であるモスクワ大公国(ロシア・ツァーリ国)となった。ロシアはモンゴルに従属していたが、15世紀末に完全に独立した。一方、ウクライナは、キエフ大公国の滅亡後に、ハーリチ・ヴォルィーニ大公国(ルーシ王国)として存続したが、14世紀末にモンゴルに抵抗するための同盟国であったポーランドとリトアニアによって分割された。以後、ウクライナの諸侯とコサックは、ポーランドリトアニアに従属し、東欧の支配をめぐるロシアとの戦いに参加した。(上写真はGoogle;ミニッツTV。右写真は、Google;毎日新聞)

ソ連の崩壊後

1648年に民族的・宗教的弾圧のために「ウクライナ・コサック」は、ポーランドからの独立戦争を起こし、ポーランドと戦うために1654年にロシアと同盟を結んだ。ロシアは戦争に介入したが、1667年にポーランドと単独講和し、アンドルソヴォ条約によりポーランドとのウクライナの分割を行った。コサック国家は分裂し、その東部はロシア帝国内における自治国として1787年までに存続した。18世紀末にロシアはシーチの廃止、ポーランド分割とクリミア汗国の併合を行ったことにより、西部を除いてウクライナの全領域を支配下に置いた。ウクライナの自治制が廃止されたものの、ウクライナ人の多くはロシア帝国の運営への参加が許された。ロシアはウクライナでロシア化という同化政策を進め、ウクライナ人のコサックと農民をコーカサス、シベリア、中央アジアと極東の植民地化に利用した。(上右写真は、Google; 日経4946)

1918年、ロシア革命後に、ウクライナ人はウクライナ人民共和国の独立を宣言したが、ロシアの赤軍に破れ、1922年にウクライナ・ソビエト社会主義共和国という傀儡政権としてソ連に取り込まれた。1920年代から1940年代にかけてロシアの共産党は、ウクライナの重工業化・集団農場化・共産化を行った。その結果ウクライナ的な生活様式と多くの文化財が崩壊され、1932年から1933年にホロドモールと呼ばれる人工的な大飢饉が起こった。1920年代には、ウクライナ人が多数派であった地域のスタヴロポリ地方、クラスノダール地方、スタロドゥーブなどをロシアに併合し、1954年にロシア人が多数派であったクリミアをウクライナに譲った。(上右写真は、Google;NHKニュース)

1991年にソ連が崩壊し、8月24日にウクライナはソ連から独立を宣言した。12月5日にロシアはウクライナの独立を承認した。

ソビエト連邦の崩壊以降、独立したウクライナとロシア連邦の関係は良好とはいえず、緊張状態が現在まで続いている。

✮ ウクライナは、ロシアとの独立国家共同体(CIS)の結成に関する条約に調印したが、ロシアが望むように正式に独立国家共同体憲章を承認していない。

✮ 両国の間にはソ連の財産継承をめぐる問題が未解決である。

✮ 1997年以後、クリミア半島のセヴァストポリ市内では、ロシアの黒海艦隊の基地が存在する

  • 2003年9月30日に両国の間にはトゥーズラ島をめぐる国境問題が勃発した。問題は未解決のままである。なお、ソ連以来の両国の国境は存在するが、未だに正式に国境として両国によって決定されていない。
  • 2004年にオレンジ革命の際、ウクライナ大統領選挙にロシアが介入したにも拘らず、親露派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ候補が敗北した。以後、5年にわたって両国の間にマスコミにおける情報戦が行われた。また、二つの「ガス紛争」(2005年 – 2006年、2008年 – 2009年)があった。
  • 2008年にロシア・グルジア戦争の際、ウクライナはグルジア側を支援した。
  • 2010年4月21日に親露派のヤヌコーヴィチがウクライナ大統領となり、ハルキウ条約によってロシアとの関係の正常化をはかったが、ガスをめぐる問題は未解決のままである
  • 2010年末に、ロシア政府はロシア国内におけるウクライナ人の最大の市民団体「ウクライナ文花自治体」を廃止し、モスクワにあった唯一のウクライナ文学図書館を「右派急進主義」のために廃館させた。
  • 2011年に第三の「ガス紛争」。ウクライナによるロシアの企業ガスプロムへのガス料金未納問題。
  • 2012年に「チーズ戦争」。ウクライナからロシアへの乳製品の輸出に関する問題。
  • 2014年のウクライナ騒乱によるヤヌコーヴィチ政権の崩壊およびそれに伴い発生したクリミア危機。
  • 2022年にはウクライナがNATO(北大西洋条約機構)に加盟をしようとしたがロシアが猛反対した。

その他に、ウクライナとロシアの間に、歴史認識の問題(ホロドモール、第二次世界大戦におけるウクライナ蜂起軍とNKVD〈KGB〉の評価の差異)、ウクライナ国内におけるロシア語の公用語化の問題、ロシア国内におけるウクライナ人のロシア化の問題、NATO・EU・関税同盟へのウクライナ加入の問題などが未解決のまま存在する。

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